村上春樹の作品を読んだ時、私は絶望した

村上春樹の作品を読んだ時、私は絶望した。
性や愛が真っ直ぐに描かれているからだ。
私は性に関してが苦手である。欠落しているような気持ちだった。

私はキラキラしているものにとても憧れる。
でも、手に入れなくってもよかったりして。
けれど村上春樹は、私にはあまりにも眩しかった。性と死の中に愛を迸らせている。不思議なところも確かにあるけれど、私の知らない世界が根っこにある。もう一度繰り返すけれど、自身の欠落を感じたのだ。こんなふうに誰かを好きだったことがあったような気もするけれど、愛するとは違っていたような気がして。愛し方も愛され方も、まるでダメだったんだと思った。私とはなんなのだとかよく分からぬまま哲学を巡らせてみたり。

私の中に大切にしている一節がある。
"たとえ死しても、消滅することなく思い出は残る。愛があればあるほど、生き生きとしたものになる。"
トルストイの人生論に書いてあるのだ。
人は、肉体が死んでも完全には死なない。忘れられた時が本当の死だ、という言葉に近いかも。

愛することは、刻むことだ。私はできる限りの愛を刻みたいと思って、いつからか生きている。これはもう恋愛ではないが、娘に受け継いで行って欲しいなと思う。愛の循環を信じて。ハッピーの循環。愛されることを知った子供は、一生誰かを愛することが出来るらしい。そしてもしかしたら、私の到達できなかった愛のこととか、彼女は知れたりして・・・。

こんな形でも、ちゃんと愛を刻めることが出来たら良いなと思う。私の世界はこうなんだ。でも、村上春樹の世界にはまれなかったことは、なんとなく残念かもしれない。

なるべくの好きを集めて生きていく。嫌いなものにも気づく。人はそうして豊かになると思うのです。だから江戸川乱歩が好き。行列や鳩が嫌い。
なんかズレてきた。子供みたいだなぁと書いていて少し笑ってしまいました。大人の恋ってなにそれみたいな。ちょっと恥ずかしい気がしてきた。
自分の心は、一番分かっていたいですよね。今はこうありたいという確固たる像がある。少し進歩したと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?