なんも悩まず話したい。やっぱレンタルさんの需要高い。
大学院在学中の私は、毎日やっぱり小難しいことを考えさせられる。
日本文学専攻なので、色々古典文学を読んで先行研究読んでは、色々批評しつつ自分の意見を述べなきゃいけない。と、思いきや昔の人が書く崩し字(私はいつもニョロニョロと呼ぶ)を一字一句丁寧に読んで、校訂をいまいちど見直すというめちゃくちゃ地味で目が痛くなるような授業もある。
どれも自分がやりたくてやってるから毎日いきいきして楽しい!
なんて常日頃思うわけない。正直きつい。
もちろん面白いこともあるし熱中できることだけど、教授に話を振られて意見言っても全然イケてること言えなくて的外したこと言うのしょっちゅうだし、自分が頑張っても全然知識足りなくて全く評価されないのはいつもだし、めちゃくちゃ辛いよ。まあ好きなんだけどね!!
でも、そんな時に脊髄反射な会話、誰でもいいからしたくない?!
私は頭をからっぽにできること大好きマンなのでずっと趣味の話とか、今日あったこととかオチのない話を院生仲間にもよくするんだけど、やっぱり向こうも忙しいし、価値観も違うから話が合わないことも多い。というか正直院生仲間はいまだにめちゃくちゃ気を遣うしどれくらい親密にしていいかいまだに距離感がわからないし話すと疲れるからできれば違う人と会話したい。
ともかく適当に意見いって、適当に向こうもレスポンスしてくれる存在がめちゃくちゃほしい。脊髄反射で会話したい。
そんな風に思ってるとき、目がカッッッとなった。
レンタルなんもしない人の需要めちゃくちゃ高いのでは?!?!?!
なんもせずただ話に適当に同意しつつ会話をしてくれる人、めちゃくちゃほしい~~~~~~!!!!!!!!
半年以上前からレンタルさんをフォローしてて、レンタルした人のレポやノンフィクションの特集などみても、ただいるだけの人は私には必要ないかなあ。とぼんやり思ってた。だってなんかしてほしいじゃん、その人の個性欲しいじゃん。
と、思うこともある。
けど、やっぱり自分はよく人疲れする癖に人と喋らないと死んでしまう病なので人とは話したい。そんな意味わかんない悩みは心療内科いって相手してもらえ、みたいな感じに今まで扱われていたようなことだけどレンタルさんの登場は画期的だなと今更じんわり思う。
それとともになんとなあく社会の闇を感じる。
現代社会の病により生まれたコンテンツかもなあ、なんて。
だってなんもしない人なんて、今まで必要とされたことあるだろうか。何もしない人は価値ないし、他人は自分に何か与えてくれる存在であってほしいと、思うもののような気がする。それが、「なにもしないでほしい」と願うようになるということは、人に振り回される世の中に疲れた、とも捉えらえる。
誰かが何か言うことにいちいち気を遣わなければならない。傷つけらてしまうこともあるかもしれない。というインターネット社会のわかりやすいマイナス面が今まで何十年も言われてきているのだから、やはりレンタルさんの誕生は必然的だったと思われちゃう。私的に。
レンタルなんもしない人の需要は現代社会の負の面により誕生した、という文脈で書いてきたけど、逆に言えば新たな需要の誕生と言える。このあとレンタルさんに続く人が出てくるのかなあ。と、ちょっとわくわくしてる。
なんにせよ、レンタルさん雇いてえなあ。
金ねえんだよなあ。
早くボイストレーナー秋山の話したいよ。