『鍵』のない家
僕は、所謂ミニマリストって奴になりたくて、日々ものを減らしたり、生活スタイルについて考えたりしている。
そんな中で、ふと思い出したことがあった。友達の家についてだ。
その友達の家はタイトル通り、鍵そのものが存在しないというわけではない。ただ、『鍵をかける習慣』というものが存在しないのだ。
この習慣に関しては賛否両論あると思うし、まあ一般的に考えれば「よろしくない事」だろう。でもこれによってなのか、その友達の家は家族も含めみんなオープンで、遊びに行った時も随分良くして頂いた。
少し話はそれてしまったが、この
『鍵をかけない習慣』というのは、
『家への執着がない』とも言えるんじゃないかなって。
勿論、自分の家に対して愛着を持つのは良い事だけど、過度にそれを持ちすぎると、ライフステージが移り変わる時、なんだか心のフットワークが重くなってしまうような気がして。
有名なミニマリストにしぶさんという方がいて、その方が「所有はコストである」という考え方を提唱している。
物を持ち過ぎることで、余計なお金や労力、時間、思考まで奪われてしまうという考え方だ。
人って思ってる以上に少ない物の数で生活できる。ホテルなんか見ればそれが分かるだろう。
鍵を捨てるのはちょっと極端かもしれないけど、家や物への執着を良い意味で減らせたらなぁなんて思った。