【出版社の場合】“働かないおじさん/おばさん”問題を、当事者であるわたしが考えてみた。
働かないおじさん/おばさん問題。このテーマ(?)のネット記事はビューが伸びるのか、定期的に目に飛び込んできます。そして内容がおおよそ予想でき、読むとたいてい凹むとわかっているのに、素通りできません。なぜなんだろう? 答えは、わたし自身が“働かないおばさん”だから。
マルチーズ竹下と申します。東京のわりあい大きめの出版社で、書籍の編集をしています。
わたし自身が“働かないおばさん”だから。――と書くと、わたしをよく知る数人の方は、「そんなそんな」とフォローしてくれるかもしれません。「けっこう働いてるじゃないですか(年の割に)」「頑張ってるほうだと思いますよ(同年代編集者に比べて)」「昔から知ってるけどいつもいつ寝てるんだと思ってた(昔=2-30代の時ね)」・・・・
ありがとうございます。でも、若い頃に比べれば、ずいぶんと寝ています。ボーッと考え込む時間も持つようになりました。いっちょまえにミッドライフ・クライシス(中年の危機)にも陥っています。
そもそも、「ちゃんと働く」ってどんな状態を指すのでしょうか。このテの議論がわけわかんない方向に行きがちなのは、「ちゃんと働く」の定義が、みんな違ってみんないい状態だからだと思うのです。そして、「働く」ひとの状況や属性が(あたりまえですが)異なるから。さらに、「働く」と「稼ぐ(売り上げる)」を同一に考えてしまいがちだから。
とくに編集者の場合、スケジュールさえ守れば、自分の裁量でどこまでも本づくりに時間をかけられます。でもかけた時間の分、イコールですばらしい本が出来上がるとは限りません。もっと言っちゃえば、売れる(=利益が出る)とは限りません。制作にかけた時間と比例して売れるのならば、世の中に存在するたいていの本は売れてるはず・・・・・。
たとえばわたしは今日、デザイナーさんに提出する帯の文言をつくるのに、90分かかりました。ところが同じ業務を30分くらいでサクッと仕上げてしまう後輩がいます。サクッとだから内容もサクッと薄味かというとそうではなく、じつに的を射ており塩分高めで、そのテーマに興味がないひとでも手にとって読んでみたくなる惹句になっているのです。
――と書くと、同業者なら「あなたは企画の本質をつかみ切れていないから時間がかかるんじゃ?」と思うかもしれません。もしくは「そもそも“ウリ”となるポイントが少ない企画なのに、むりくり特長を作りあげようとするからつらいのでは?」とか。いや違う。作業を始めてすぐに「これだ!」と確信できるものが出来上がっても、そこからが長いんです。わたし暇なの? 暇なのかな。暇なのかもだし、性分なんだと思います。
30分で仕上げてしまう後輩からしたら、その3倍の時間をかけているわたしは「ちゃんと働いて」いるのでしょうか?
思うに、作業時間でいえば圧倒的にわたしのほうが「ちゃんと」仕事に充てているのだけれど、密度や濃度でいえば彼女のほうが「ちゃんと」効率よく働いているんですね。可処分時間が限られているから、メリハリがきっちりついている。こちらのほうがずっと今どきだし、働き方として正解なんでしょう。
ところが会社組織とはおそろしいところで、彼女のように効率よく濃度の高い(やがてお金も呼び寄せる)仕事をこなせるひとに、けっこうな仕事量を振り、期待を寄せるんです。で、マネジメント能力が高く、周囲にはっきり「やる/やらない」が言えるひとならいいのですが、言えないタイプ、その手の交渉が苦手だなというタイプのひとだと、あわあわしてる間にけっこうな量と期待を受け入れてしまい、オーバーワークになる。「寝る時間ないなー。家族ともろくに会話してないなー。そもそも家のことなんもやってないなー。そろそろやばいなー」と思いつつ、でも著者が喜んでくれるし、売れればやりがい感じるし評価も上がるし、そもそも自分が通した企画はぜんぶやりたいし! ――で、限界突破でやろうとする(ちなみに本が出来上がる過程には、他業種と同じく、俗に「雑務」と呼ばれる仕事も山のようにあります)。
しかしふとまわりを見渡せば、ろくに本もつくらず企画提案もせず、コーヒーを飲みながら(しかも職場備え付けのコーヒーマシンじゃなくてわざわざ駅そばのドトールでテイクアクトしたやつ)ふわふわと帯づくりに90分もかけている妖精さんがいる。そりゃあ、憎んでしまうのもしょうがないよなあと思います。しかも妖精さん、よく寝て元気だからご機嫌で「お、今日もがんばってるねー。きみはラッキーだよねー。好きな仕事してお金もらってねー」なんて軽口をたたくんですよね!
つづいて、「働く」と「稼ぐ(売り上げる)」を同一に考えてしまうモンダイ。やはり出版社に勤める知人の元先輩Mさん(すでに退職)は、まさにそのモンダイにズブズブ膝まで浸かっているひとでした。
聞けば優秀なひとなんですよ、Mさん。つくる本は必ず重版がかかり、ロングで売れるから、手堅く一定の収入を編集部にもたらしてくれる。じつはこういう収入が編集部の屋台骨を支えてくれてるってこと、その知人も含め、編集部みんな分かってた。でもMさんの日ごろの言動がね・・・・。
Mさんは自分の数字はもちろんのこと、編集部員全員の売上げを把握してたそうです。たとえば誰かが組織改革についての意見を言おうものなら「あいつ前期の売上げ◯◯円なのにどの口で言ってんだか」と一蹴。同じような年齢の同僚が先に管理職になったなら「なぜ◯◯の◯倍稼いでいる自分が先に選ばれないのか。今からでも遅くはない、俺を上にあげろ!」と役員に直談判。会社は慈善事業じゃない、売れない本はイコールごみ、ごみをつくりだすやつらになんら発言権はない、、、、と、すべてを数字に置き換えてた。
「編集者ネタのネット記事で激しく反応しているヤフコメとか見ると、Mさんじゃないかってザワザワする」(by知人)
わたしの場合は、正確に言えば、“働かない”のではなく“30代のときと同じようには働けない”おばさんなんです。徹夜をすれば次の2日間は頭が使い物にならずミスも起こす。いつもどっかが痛くて体も思うようには動かない。もちろん、Mさんのように本づくりの醍醐味を数字と称賛に置き換えるやり方はできないししたくない。ローパフォーマーと呼ばれようとも、若いときのように自分を追い込み負荷をかける働き方は・・・・したくないんです。それやっちゃったら、きっと電池切れを起こしてしまうと思うから。許される限り、まだしばらくは、編集者を続けていたいなと思うから。
その結果、「マルチーズ終わってんな」「それって働かない宣言と同じ」と思われ離れていくひとがいたとしても、受け入れるしかありません。だれでも年をとる、それでも仕事は続く。働くってそういうことだーーと、最近は考えるようになりました。
今日もインターネットの海を漂っていると、“わたし”のトリセツについての記事が見つかります。若いひとにおすすめする働かないおじさん/おばさんにイラつかない方法はーー無視すること、だそうです。
さ、粛々と、やりましょう。
文/マルチーズ竹下
東京の出版社で、生活全般にまつわるアレコレをテーマにした書籍の編集をしている。ペンネームは、犬が好きすぎるので。
本づくりの舞台裏、コチラでも発信しています!
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