折田楓さんnoteで思う、編集者も黒子ではいられない時代?
折田楓さんを巡り、報道が加熱している。
彼女の兵庫県知事選での関わり方が、公職選挙法に抵触するのかどうか、それは法の専門家に委ねるとして、私は彼女が書いたnote記事を読み、その戦略と、言葉のチョイスのセンスと、卓越した実行力などに、単純に感心していた。
「あれ、選挙プランナーって、こんなに手の内を見せてくれるもんだっけ? 大丈夫かな? 斉藤知事や後援会に話つけてるのかな?」とザワザワしたけれど、それとは別に、“ザ・しごでき”な33歳の登場に、ワクワクもしていた。
だから、いま、すごく残念だ。そして彼女の失敗(かどうかはまだ決めつけられないけど)を「承認欲求の高さ」ゆえと責め立てる声に、モヤる。
承認を求める。自分の成し得た仕事を披瀝し、自信を持って評価を求める。
いいじゃないか。私のような50代の女性が30代のときにはできなかったことだ。できてる同僚もいたけれど、私は怖かった。自分の強みや得意をアピールする方法を知らなかったし、磨く努力もしていなかった。ミソジニーという名の報復も怖かった。
だから、折田さんの清々しいまでの〝しごでき〟アピールは、私にはまぶしく映る。へんに謙遜を織り込むことなく、何をやり遂げたか、どこまでが自分の成果なのかを、短く、明瞭で、ヴィヴィッドな言葉でまとめ上げ、刺さる構文で綴る能力は、広報の仕事以前に、ビジネス人としての有能さを示している。
知事選は、PRの専門家として、実にやりがいのある仕事だったのだと思う。選挙はお祭りだと言われる。一度“中の人”になると、文化祭の前夜が連日続くような興奮に包まれ、やめられなくなる、と聞いたことがある。
しかも今回の知事選は、候補者からすればどん底からのスタートだったはず。メディアで叩かれるクライアントが、自分の提示した戦略と、自らスマホを手に選挙カーに乗り込む実行力の相乗効果で(注:noteの記事によれば、だ)事態が好転していく動きを間近で見ていれば、「自分、すごい。私、頑張ってる」と自画自賛したくもなるだろう。
残念だったのは、その舞台が選挙、という、一般的にはルールやしくみがわかりにくいものだったことだ。
そもそも知事側は、公選法について、折田さんの会社と話し合う機会はなかったのだろうか。
いきなりシロウトが立候補したわけではない。“元”知事なのだから、周囲には選挙のプロがいたはずで、きちんとレクチャーを受けなきゃ正しく理解するのが難しいこの法律を、折田さんに授ける人はいなかったのだろうか。
さらに、SNSを駆使した戦略活動をプロ(=ギャランティを受け取る人)に依頼してはならないという建前・・・・じゃなくて法の実情は、さすがに時流に反しているように思う。
さらに、知事側は「メインビジュアルの企画制作、チラシのデザイン、ポスター・デザイン制作、公約スライド制作、選挙公報デザイン制作以外の(折田さんサイドの)活動は、ボランティアの一員として行われたもの」と会見で言い切ったが、ならば、感謝の気持ちを述べてもよかったのでは。なかったよね?
なんだか、すごくチグハグだ。
折田さんは、いまどきよくいるキラキラ系の承認欲求の鬼。そのせいで公選法に抵触したのが明らかになり、結果、斎藤現知事まで窮地に立たされている。けしからん!
ーーというのが、2024年12月直前のSNS界隈で多く見られる意見だが、出版業界でも編集者がオモテに出るのには賛否がある。
作家さんがインタビューや「あとがき」などで触れるのはヨシとしても、「この作品、自分が企画した」とメディアで成功譚を語るのは、黒子としていかがなものか、と。
でもこれも、昔の話だ。
いま、編集者は担当した本を宣伝するためにはどんどんメディアに出るし、個人アカウントを作って日々呟くし、重版のたびに著者に代わって世界中にお礼を伝えるし、売れたらnoteにどう売るために戦略を打ったかの記録を残す。
若い編集者の中には、自分、ひいては自分の属するメディアや出版社が生き残る策として、“作家(著者)に選ばれるためにオモテに出る”と明言する人もいる。
編集者も人気商売である。
いわゆる“大手”“総合”と呼ばれる出版社に勤めていると、余裕ぶっこいて働き続けられると思われがちだが、そんなことはない。こちらから著者(作家)に書いてくださいとお願いしても、著者(作家)が「この人とは仕事したくないな」「この人と組んでも売れるものは生まれないな」と思ったら、お断りされてしまう。
執筆の依頼が来たら、まずはSNSで依頼者の名前を検索する、という方もいると聞く。
だから、オモテに出て自分をさらけ出し、自分の強みを語り、自分の人となりを知ってもらう。
炎上は想定内だ。それもコミ、と語るツワモノもいる。
もちろん、オモテにさらした自分を忌避する著者(作者)もいるだろう。それはそれでいい。時間は有限である。ならば、共感してくれる人とこそ仕事したいから。
ーーすごい覚悟だと思う。
もはや初老の域に達し、自分をオモテに出す勇気はこのnoteで精一杯の私は、選ばれるほうのチームには入れない。でも、選ばれないほうのチームにだって、自負はある。戦略もある。
その一つは、「若い編集者の邪魔をしない」だ。
このまま斎藤知事側の言い分だけがまかり通り、折田さんは「やらかしちゃったキラキラ広報女子」認定されるのは、どうにも納得がいかない。
本当のところはどうだったのか、あの明快で刺さる文章で語られる事実を、私は読んでみたい。
文/マルチーズ竹下(出版社勤務、書籍編集職)
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