朝ドラ『らんまん』を編集者視点で観てみたら、スゴかった。
NHK朝の連続テレビ小説(通称朝ドラ)『らんまん』が終わりました。久しぶりに、1日の決まった時間にテレビの前に座り、泣いたり笑ったりホロリとしたり、ココロを揺さぶられながら布団に入る(録画派なので観るのは夜)、という生活を送りました。
NHKが日本の植物学の父と呼ばれる牧野富太郎を主人公(モデル)にすると知ったとき、正直「え、大丈夫なの?」と思ったものです。朝井まかてさんの小説『ボタニカ』(2022年祥伝社刊)で描かれる富太郎は、なんともハチャメチャな人物で、いうなれば“身勝手な◯ズやろう”だったから。
そんな人物を、朝ドラのヒロイン(?)に??
念のため、牧野富太郎って誰? な方のために、◯ズッぷりの一部を紹介しますと。
継いだはずの家業は妻に一切押し付け、植物学をやるきに!と土佐(高知県)から勇んで上京。まもなく出会った女性(浜辺美波演じる寿衛子)と恋に落ち、次々と子どもを作り(まだ故郷の妻との婚姻は継続中)、お金が必要になると生家に無心の嵐。
後妻となった寿衛子も金策に走ることになるが、「すまんのう、すえちゃん」というばかりで(あ、ここはドラマのセリフか)、悪びれる様子はない。
口癖は、「なんとかなるろう!」(なんとかなるだろう)
なんか・・・・こういう男、過去に付き合ったことがあるような・・・・。
とにかく子どもの時からの「植物が好き」という情熱を大人になっても一切ブレさせず、周囲の協力を惜しみなく受け取って、研究を貫くのです。
『ボタニカ』作者の朝井かまてさんも、NIKKEI STYLEのインタビューでこう語っています。
「彼はスケールに際限がない、というか、自分に際限を設けない。子どもの頃からの"好き"を貫いているだけなんですね。自分が好きなこと、信じることにのみ誠実だから、『役に立つかどうか』にはまったく頓着しない。そこがとても魅力的です。さらには、誰に対しても垣根がない。人間関係が上下じゃなく、水平なんです。尊敬する大学者の懐にもずんずんと飛び込んでいく。来る者も拒みません。大物相手でも、子ども相手でも、植物について質問されれば同じ丁寧さで返事を出しています。その美点が、裏を返せば欠点にもなり、人にかわいがられては自己中心的な研究態度で疎まれる、の繰り返し。でも、富太郎はかまっちゃいない。なにしろ、『自分こそが日本の植物相(フロラ)を明らかにする!』との信念があるから。彼は最初から"世界"を見ていたんです」
そう、「人にかわいがられては自己中心的な研究態度で疎まれる」をくり返すトンデモ主人公でありながら、ふたりの妻をはじめ、富太郎とかかわりをもった者たちは時に疎みながらもけっきょく彼の情熱と信念に取り込まれる。私も『ボタニカ』読了後にはすっかり富さんファンになり、『別冊太陽牧野富太郎 雑草という草はない』(平凡社)、『牧野富太郎の植物図鑑』(三才ブックス)買っちゃいましたからね・・・・。
私はすっかり魅了されてしまった派だけど、小説『ボタニカ』を読んで「牧野富太郎、偉業を成したかもしれないけど、人としてはサイテーだわ!」と思った人も多いと思う。そんな人物を、朝ドラのヒロイン(?)に??
しかし、心配は杞憂でした。神木隆之介演じる「槙野万太郎」は表面だけなぞれば“身勝手な◯ズ・・・”なのだけれど、とにかく早くから一生の宝物を手に入れた彼の芯は強い。揺らがず、正直で、東京帝大の学者連中にも物怖じせず突進していく。小学校中退があ~とさげすむ彼らを取り込んでいけた背景には、学歴はなくても土佐の豪商の家に生まれ、地元の名門塾(名教館)で英語、西洋算術、物理学、地理学などを学んだ万太郎の「教養」も武器となったと思う。
「これは最終回まで観続けることになるなー!」と予感したのは、第18話。宮野真守演じる自由民権運動家・早川逸馬の「我ら人民は、役立たずの雑草と馬鹿にされ、いやしき民草と踏みにじられてはいかん!」との演説を聴き、とつぜん万太郎が「そりゃあ違う!」といきり立つシーンがある。
「名もなき草らあ、この世にないき。人がその名を知らんだけじゃ!」
興奮した万太郎は演説台に上がり、早川への反論をはじめます。そのふたりの台詞の応酬がみごとなのです。
ひたすら植物の生きるチカラ、オンリーワン性を説く(叫ぶ?)万太郎に対し、早川は「生存の権利」「人権」「同士の団結」など、自由民権運動のキーワードを挙げて上手に万太郎の植物話と絡めていくのです。「われらは自由という大地に根を張る、たくましい草じゃ!」という具合に。
あ、ここで、富太郎のキラーワード「雑草という草はない」が出てくるんです! しかも有名な“民権ばあさん”楠瀬喜多と思われる女性の登場も(演じるのはやはり高知出身の島崎和歌子)! この一連のシーンに脚本の緻密さと演出の巧みさを感じ、沼ってしまったわけです。
ドラマの前半が、ク◯をいかに魅力的な人物に描くか、の点に秀でていたとすると、後半は、万太郎が「出版」にもっていた先見の明を感じさせる構成でした。
持ち込んだ植物標本と土佐で得た教養を武器に東京帝大植物学教室になだれ込んだ万太郎ですが、やがて教室との関係が悪くなる中で、植物の本を自費出版します。大学の力を借りず、自力で世の中に「日本の植物相(フロラ)を明らかにする」ため。そのためになんと石版印刷機を購入して家に持ち込み、自宅をまるっと研究室兼書斎兼印刷所にしてしまうのです。現代のクリエイターたちが、自宅にコンピュータをそろえ、デジタルで作品をつくりあげ、電子書籍で販売するように・・・・! もちろん、資金は生家からの援助と寿衛の商才で得たお金です。
この寿衛がまた、スゴい人なんだ。まだ場末感がただよう田舎町、渋谷に可能性を見出し、古家を買い取って店を開く。そこに通う名だたる実業家たちから信頼を勝ち取り、関東大震災後には実業家のひとりに手に入れた時の400倍以上の値で店を売却する。その売上金を元に、現在は練馬区立牧野記念庭園となっている練馬区大泉の広大な土地を手に入れる・・・・なんという資金調達力!
そして、寿衛子も出版とは縁が深い。彼女の愛読書で宝物は、滝沢馬琴『南総里見八犬伝』。嫁入り道具として柳行李に大事に入れて持ってきてたし、オタク気質のうかがえるセリフが飛び出すシーンもあって、「寿衛は馬琴推し、万太郎は植物推しで、けっこう似たもの同士でお似合い・・・?」との声も上がりました。
さらに「寿衛、すげえ・・・!」と私が震え上がったのが第128話。「理学博士にならない?」とかつての教室仲間(アカデミアで大出世)から打診された万太郎は、「わしは、、、、、(その推薦を)いただくことはできん」と断ってしまう。
「日本中の植物を明らかにして図鑑にする。まだ成し遂げちゃあせん。これは、わしがはたちの時に決めた仕事じゃ。その仕事さえ成し遂げちゃあせん」というのがお断りの理由。な、な、なんちゅう・・・・と視聴者がのけぞりそうになったところで、寿衛の名台詞が飛び出します。
「図鑑を成し遂げてから? そんなの遅いですよ!」
「先に理学博士になったら、売れるじゃないですか! 理学博士が満を持して植物図鑑を出すとなったら、売れに売れて売り切れ御免の大増刷ですよ!!」
いやほんとにーー。どんなにすばらしい内容が詰まった本だとしても、世の中は肩書きに弱いもの。これは明治時代も昭和も令和も、同じ。著者としての肩書きは、いくつあってもいい。数々のお金にまつわる困難と対峙し、乗り越えてきた寿衛ちゃんだからこそ言える、ナイスな説得でした。
そんなふうに、出版社、編集者目線でみても、とても楽しめるドラマでした。
じつはこの原稿を書いている現時点で、私、最終話を見ていません。
図鑑は、完成したのだろうか。
寿衛ちゃんの病は、どうなったのだろうか。
最終週の副題は「スエコザサ」。万太郎(富太郎)が妻の名を冠した新種のササ(笹)の名前です。『ボタニカ』によると、寿衛は「スエコザサ」が掲載されている完成版を見ずにこの世を去った。ということはーー
早くうちに帰ろうと思います!
文/マルチーズ竹下(出版者勤務)
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