【雑談】 なぜ大人が子供達に用意するお菓子が少しズレてるのか
大人ってこんなはずじゃなかった。一生そう思いながら年老いていくんだと思う。
その一つに、僕は大人になればお菓子を食わないと思ってた。
食っても不味いんだろうな。
そんな感覚だったと思う。
しかし、現実は違った。普通に食べたくなるし、食べたら美味い。
厳密に言うと、お菓子の好みがちゃんと年齢に応じて変わってきているのではないかと思っている。
例えば幼少期に食べる、たまごボーロから私たちのお菓子人生がスタートする。
たまごボーロ期としておく。
これは、物心つくときには赤ちゃんの時ほど美味しいと感じなくなってくる。
たまごボーロは分かりやすい例ではあるが、そこから少ーしずつグラデーションしてお菓子の好みも年齢に応じて変わってきているのではないだろうか。
ちなみに今の推しは、かっぱえびせん。
今、ボクはかっぱえびせん期なんだと思う。
昔、スナック菓子といえば、コンソメパンチ、カラムーチョ、オーザック、ピザポテトなど、いかにも脳に直接旨味成分を突き刺してきそうなものを好んでいた。
一時期、シゲキックスやメントスにハマっていたのも丁度その時だったと思う。
小6の遠足で300円分のお菓子をメントス3本に全BETしていた過去もある。
ところがだ、今ではそれらのお菓子には全く手が伸びない。
30歳を過ぎた妻も先日、買い物ついでに変なお菓子をカゴに入れていた。
幼少期には、かっぱえびせんが何故売れるのか、何故あんだけCMを流せるのか分からなかったが今ではわかる。
そして、このお菓子の好みのグラデーションが、昔からうっすらと感じていた、とある問題に起因しているのではないだろうか、
それは、昔、町内会や子供達の集まりなどで大人が用意するお菓子が、全く子供好みじゃなかったことだ。
並べられたお菓子は、ホワイトロリータを筆頭にまがりせんべいや雪の宿などが平気で並んでる。
だからといって、小さい頃の僕達はそれに対して文句を言うことはない。
ど真ん中の好みではないだけで、それらも普通に食べてしまうから。
そして、大人になった今、仮に近所の主婦から「子供達のお菓子を選んで用意してください」と言われたら、すごく迷う。
やはり、今の自分の好みのお菓子を選びたくなってしまうのだ。
いかにも身体に悪そうなパッケージ、激しい味付けのお菓子を子供達に食べさせたいとは思わないから。
そして、そのお菓子選びのセンスを他の親たちにも評価されるとなると、下手にカラムーチョなんて選べるはずない。
つまり、大人が自分たちの目線、更には他者の評価を気にしてお菓子を選ぶことで、主役であるはずの子供達のお菓子の好みとズレが生じしてしまっていたのだと思う。
では、僕は何を選ぶのが正解なのか。
大人が選ぶお菓子と子供が好むお菓子の最適解のお菓子を考えてみたが、限りなく正解に近いお菓子が浮かび上がってきた。
このお菓子、自ら選ぶことはないけれど、大人が用意してくれてたら嬉しかった記憶がある。
いま食べても美味しいと思うし、誰からも文句言われる未来は見えない。
強いて言うなら、ゴミが散らかりそうなくらい。
「幸せ(ハッピー)」が「戻ってくる(ターン)」
大人になった今、名前もいいことに気付く。
こうやってお菓子のグラデーションと共に人生を歩んでいくんだと思う。
老後の私達は一体なんのお菓子を手に取ることになるのだろうか。
END