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部活動指導についての僕なりの考え

こんばんは。
今日の山形は35度でした。めちゃ暑いです。

山形避暑地じゃないです。
でも、今日は家族で蔵王の温泉に行きましたがやはりそこは少し涼しいですね。山形にも避暑地がありました。

今日は少しだけでしたが、母校の山形南高校のサッカー部の練習試合を観てきました。
あの甲高い声が聞こえない南高の試合は少し寂しさがあります。
GKの選手が僕のことを見つけてわざわざ挨拶をしにきてくれました。やっぱ嬉しいですよねそういうのって。先輩面できる瞬間です笑。

今回観に行って思ったのは、相手チームの監督は試合中に選手に積極的に指示を出している。南高の指導者の声は試合中はほとんど聞こえない。これについては、選手が考えることを目的としているか、はたまた話す事がわからないのか、コメントする程のゲームでもないのかそこに関しては本人に聞かなければわかりません。

ここからは完全に個人的な意見になりますが、
高校年代の指導者は選手に積極的に指示を出した方が良いような気がします。「人から言われたことしかできなくなる」「自分で考えられなくなる」という意見があるとは思いますが、僕は"人から言われた事も出来ないような人、選手は自分で考えられない"と思うんですね。さらに、人から与えられない状況で自分で考えだすと妥協が生まれやすいと思うんです。ある程度の基準は示してもらわないとわからないと思うし、人は弱い生き物だと思ってるから楽な方に行ってしまうかなと。
そして、サッカー(競技)をしたくても出来ない人がいるというこの世の中で楽にサッカーをしていようという、しかも部活動でってちょっと僕にはあまり理解できません。それでは部活動が人間成長の場にならないんじゃないかなって。

でもこういうようにしてると、「顧問が厳しすぎる問題」「練習長時間問題」「体罰問題」といろいろ出てくるわけですよね。指導者の熱量が高ければ高いほどこうなりやすいのでは(こう受け取られやすいのでは)と思います。
僕は厳しいの線引きを選手に、指導者に本当に任せて欲しいと個人的には思っています。
親が見ていて子供が可哀想とか、政府が教師が大変そうだからそこをなんとかしてあげようとか。
そういうのってほんとに余計だと思うんですよね。

いくら子供が厳しい指導を受けていても、サッカーに(競技に)楽しい瞬間って必ずあるはずだと思います。それも見えなくなった時は周りが気づくよりもまず自分が競技をしようとしないと思うんですよね。
自分の判断の前に他の人が辛そうだけど、指導はどうなってんの?とか言ってしまうと成長が止まっちゃうんじゃないかって僕は思います。

指導者に関しても同様です。
最近は部活動指導員という制度を作り、教師は教科教育、部活は部活動指導員というように分けたいという流れが出てきています。
僕はこれには本当に反対です。
部活に時間を取られるからそこを教師の仕事から削ろうなんて考えは、やりたくない人がやらなければ良いんじゃないかって思っちゃいます。

僕が小学生の頃のスポ少の監督は「クラブチームと少年団の違いは日常生活を共にしてるかどうかだよ」と話していたことは今でも覚えています。
それは指導者と選手の関係にも似てるんじゃないかって思います。
だからこそ、最近TVでやっている甲子園の監督の言葉も一つ一つ愛があるなと感じています。

なんの対談かは忘れてしまいましたが、元ラグビー選手の清宮さんが「結局は指導者は愛が大切。監督の事を結婚式に呼びたいと思ってもらえる関係に卒業するときになっているのが一番」と言っていたのを覚えています。

それってすごく良いなと僕は思いました。
そこに至るにはどうしたら良いかはそれぞれ違うと思います。
でも僕は厳しいことを言われたり、時には突き放されたり、もう辞めたくなるくらいの指導をされた方が、本当の愛に気付けるような気がします。そういう指導ができる指導者ってどれだけ厳しい指導をしても選手との信頼関係を気付ける自信があるからなのかなとも思います。自信がなければ、保護者の目や、選手の機嫌をとってしまいがちではないかと。


こんな考えの人がいるから世の中から体罰やブラック部活動という言葉が消えないんでしょうね笑笑
あくまで個人的な意見なのであまり熱くならずに読んでください。
書きたい事を思いついた順に書いていったのでよくわからない文章になってしまいましたが、僕のnoteはこういうものです。

何はともあれ母校の山形南高校の活躍には期待しています!
明日はオフ最終日

#山形 #山形南高校 #部活動 #指導者

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岩田俊太朗
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