"勇往邁進" 大学サッカー引退
大学サッカーを引退して思う事
もう"チームの為" とか "あいつの為"とか
そんな感情を持って何かをする事、必死になる事、身体を削る事
そんな事はしないのかなと思う。別に毎日酒を飲もうが好きなものを食べようが自己責任だけど、仲間の顔を思い浮かべるといつも意識高いと言われるようなものを口にしていた。でもそんなことももうないのかもしれない。
嬉しくて泣きたくなるほどの事や、心の底から腹が立つ事、立ち直れないくらい心が折れる事
こんな事はもう経験出来ないのかなと今度こそ思う。
今度こそと書いたのは一度高校サッカーを引退した時にそうなのではないかと思ったから。
高校生の時に
"こんなに熱くなれるのは高校生の頃までだぞ"
とよく言われていた。当時の僕はまあそうなのだろうと思っていた。
しかしそんな事は全くなかった。
なんなら大学サッカーこそサッカー人生の中で最もアツイ期間だったと思う。
大学サッカーをしてきた期間を振り返る事は卒業Diaryに書こうと思っているから、2020シーズンにフォーカスした事を少し。
降格が決まり、新体制になった昨年冬オフ。
あまりにも早い始動に文句を言いながら泣く泣くセブ島への旅行をキャンセルしたこともなんだかもう懐かしい。
その頃は毎日のようにミーティングを繰り返し、新シーズンに備えて様々準備していた。
今思うとなんかもっと効率の良い方法が見つかりそうとか言ってみたいものの、あの頃の学年ミーティングは毎回白熱していた為、そんなに冷静になれるような場ではなかった気がする。毎回3時間とかよくやってたな。
その時に決まったスローガンが
"勇往邁進"
何かなんでも達成しなければならない関東リーグ復帰という目標だけを追い求めるためにたてたスローガン。
当時服部主将は読み方すら怪しかったけど、今思うとこのスローガンを意識したかはわからないが、本当に一つの方向を僕らに示してくれていたと思う。
全体合宿あたりを境に少しずつ世界がコロナに飲み込まれていった。
全体合宿前日にやった学年ミーティングで、こういちろうが"合宿できるの?"と言う事を言っていてみんなで、そんなわけないだろと笑いながら言っていた事が、今となってこんな状況になるとは思ってもいなかった。
対外試合が禁止され、毎週のようにやる紅白戦。
自分的にも全く上手くいかない状況が続いていた。
栗原と一緒に花水木で飯を食っていた時いきなり学芸ポータルで1通のメッセージが
しばらくは課外活動を禁止する
一瞬よくわからなかったからすぐに幹部の3人にLINEした。
直後監督から全体ラインにチームは一時解散しますとのメッセージ。
なんかどうしたら良いかわからなくなり、とりあえずあんまり調子も良くないし1ヶ月くらい山形帰ってリフレッシュするかーくらいの気持ちですぐに帰った。山形での充実した期間は以前の部員ブログで触れているため割愛させていただく。
ずっと日本中で活動再開の目処が立たない訳ではなかった。
Jリーグは開幕し、関東リーグだって7月くらいに開幕した。
その中僕らは学校での練習すら許可されず近くの公園でボールを蹴る毎日。
時には固い土のグラウンドでシュートを受けるなんてこともあった。大学まで来てドロドロの練習着を自分で洗うなんて想像もしていなかった。
大学側から許可されずアミノバイタルカップも辞退する事に。本当に先が見えず苦しかった。
当時は週に一回ズームでの全体トレーニングがあった。本当に意味あんのかよと思いながらもみんなと顔を合わせる事が少し嬉しかった。
この活動だってトレーニング自体に効果の有無とかじゃなくて、やっぱり服部主将がみんなに「今年は関東リーグに絶対に昇格する」という強い意志をみんなに示すためにやっていた事だったんだなと振り返ってみると強く感じる。
ズームトレーニングを効率が悪いとか言って反対していたことに本当に反省している。幹部達を信じて良かった。
ズームトレーニングや公園でのフィジカルメニューをこなしながらお盆すら遊びに行かず東京にいるといきなり東京都学連から9月開幕の連絡が来た。
当時はまだ活動が許可されていなかったので本当にどうなるか不安に思っていたが、顧問の先生方の尽力のおかげで開幕1週間前についに部分的に活動が許可された。
まあ1週間しか練習していないチームが最初からうまくいくはずはなかった。
2部からの昇格組の成蹊大学に引き分ける開幕戦。
教育実習故、昨年の主力メンバーがほとんどいない前半戦。
その中チームを上向きにしたのは間違いなく第二節の朝鮮大学戦の勝利だと思う。
年間通して見てもあの試合で勝つ事ができたから、チームとしてまとまる事ができた。もう一度やってやろうという気持ちになれた。
チームとしてはやや順調に勝ち続けていたが個人としては力の差を見せつけられてばかりいた。
つい最近の紅白戦でコーチから
年間通してサブ組の奮起というものが見られなかった
と言われた。
本当にその言葉通りで一度も謙太郎のポジションを脅かすような事は俺には出来なかった。
セカンドキーパーの振る舞いというとなんか誰もがやってるような気がして自分的にはあまり好きではない表現だけども、自分なりにもやっていたつもりではあった。
しかし関東大会初戦、作新学院大学に負けた時に思った。
ベンチにいたけど何も出来なかった。
ベンチにいて何も出来ないのは正直当然。そりゃプレーしていなければ勝利に直接関わることなんてできないから。
そうだとしても、メンバー入りしている学芸の1代表としての自覚が足りなかった。会場に来たくても来れない人の想いを背負うことが出来ていなかった。
スタンドで直接前向きな言葉をかけたいのに画面越しでしか見れない人がいるって事を考えていなかった。
東海戦から心を入れ替えた。
チームの為に出来る事を自分達もやらないといけない。
じゃないと絶対に後悔しか残らないなと。
正直戦術的な事を外から言ってもチームはなかなかまとまらない。それはピッチ内で掛け合わないといけない言葉。
でも仲間を鼓舞したり叱咤したりする声は、どこから聞こえてきても奮い立つ。
選手を奮起させるような声がけを1試合通して意識し続けた。
監督コーチが熱くピッチに指示しているときは自分は冷静に試合を観て、そして自分の身体を動かす。
スタッフ陣が集中して試合を観ている時には今度は自分が熱くなりピッチに声をかけ続ける。
そんなバランスも実は意識していた。
そして何よりキーワードは、試合の前日に将も言っていた
チームの為に
https://twitter.com/kachi_com0429/status/1343896243945107458?s=21
自分の為よりも誰かの為の方が頑張れる。
なんで声をかけたら良いかわからないときは常に"チームの為にだよ!"とかけ続けた。
悲願のホイッスルを聞いた瞬間、4年間の想いが一気に頭に浮かんできた。そしたら自然と地面に伏せていた。
今思うとシャッターチャンスだしもっとかっこよく写りたかったなと思う笑
試合後の興奮は何にも例えられない。最高の瞬間。
https://twitter.com/gakugei_soccer/status/1344164059919224833?s=21
なんとなく遼太郎の慣れてない感じもまた可愛い笑
関東大会で何かトロフィーや賞状を貰えるかもわからなかったが、ここまで引っ張ってきてくれた遼太郎には何かやってあげたいと思っていた。
関東リーグへの切符を遼太郎に掲げてもらう事が出来て良かった。
少しでも彼が報われたと思ってくれていたら俺も嬉しい。
唯一の心残りは遼太郎を胴上げする事を忘れていた。みんな興奮しすぎて忘れてたな笑
今年一年振り返ってみても、大学サッカーを振り返ってみても本当に苦しかった事の方が多い。
それでもあの瞬間を味わえるのはどんだけ苦しくても良いやと思わせてくれる。
ただこの経験はもう2度としてはならない。東京都リーグは今年だけで十分だ。来年からの後輩達の躍進に期待したいところです。
特に今年の1年間は様々な制限がかかり本当に難しかった。その中でも幹部3人を中心にチームを引っ張ってくれた事で最後には良いチームになったなと思っている。取り組みはまさに"勇往邁進"という四字熟語が相応しかったと思う。
僕は昨日で大学サッカーを引退です。
最高の4年間をありがとうございました。
最高の1日をありがとうございました。
今後は良きOBとして学芸を支えていけたらなと思っています。
4年間の詳細な想いは卒業Diaryにまとめて書こうかなと思います。
まずは興奮冷めやらない翌日の心境で綴ってみました。さてマックでも行こうかな。