真夜中の2021年、hinodeの2022年。【#わたしのワークキャリア2022】
noteへの投稿はお久しぶりで、ちょっぴり緊張しながら書いています。
#わたしのワークキャリア2022 ということで。
仕事も、住む場所も、人間関係も大きく大きく変化し、まるで16ヶ月あったように長かった2021年を振り返り、適度に成仏させつつ(?)、
2022年の抱負を書きながら考えていきたい。
要約:ボランティア→フリーランスになる。
【お時間のない方向け】2021年1月〜12月までのハイライトはこちら。
1〜2月なぜ、フリーランスになったのだろう?
2021年の1月にキルギスから福岡空港に到着し「おかえりなさい」と迎え入れられるイメトレは何度もしていたけれど、そうはならなかった。
気づけば2年の任期は過ぎ去り、さて、どうするか。大学時代からボランティアで関わってきた「体験教育」の分野への就職も考えたけれど、そこへは進まなかった。
なぜか。
ずっと「ボランティア」として子どもたちに向き合い、途上国でも向き合い続けた。でも、たったウィルス1つで、全てが途絶えた。未だに現地の子ども達へも同僚へも挨拶はできていない。目の前の子どもたちを楽しませることも大切。でも、もしものとき、ジブンはこんなに無力なんだと思い知った。
子どもたちの未来を応援できるような大人になりたいのに。そんな、活動を「持続させるチカラ」がほしかった。いい活動を「いい活動だ」と知らせて、「いいね!」って応援してもらえるような手段を知りたかった。
帰国後何かしなきゃと思い、2020年は120日くらいnoteを書いていたり、教育系のインターン、まちづくりのインターンに参加したりもしたけれど…(まだ点と点がつながらない感じがしていた)
それから、やっぱりね、お金がないと生きていけない。これまでは実家でぬくぬくと暮らしていたから、生きてこれた。ありがたく、生かしてもらっていた。どんなに人に感謝されても、ボランティアではなく、ある程度は自分で稼げるようになりたかった。でも「新卒で途上国に行き、緊急で帰国した人のキャリア形成」とか、わからない。聞いたことないし。あぁ困った。困った。
いなフリとかどう?→すぐに面談に申し込んだ3月
そんなこんなで、コーチングコミュニティーをきっかけに出会ったの先輩と博多のTully'sで話し、上のような気持ちを正直に話した。
このひと言で、はじめてワークキャリア(旧:いなフリ)を知った。教えてくださったTさん、本当にありがとうございます。
とにかく今と違う場所にジブンを動かし、少しでも自分の力で働きたくて申し込んだ。
しかも、「新卒で途上国に行き、緊急で帰国した人のキャリア形成」は、1人ではとっちらかって、全く解けなかったので「メンターさんと並走してもらえるのは、助かる〜」と思って、直近開催の「いすみ市」での参加を決めた。
初回面談のハマさんも
と穏やかに言っていただいた。
(実は、書き間違って泉佐野に申し込んでたけど)こういうの、ぼくは平気で信じ込むので、背中をそっと押してもらえて、嬉しかった。感謝しています。
はじめまして、いすみ。
ワークキャリアは毎日が初めての連続で、あっと言う間だった。
そもそも社会人経験もないし、何をアピールしたらいいのかもわからない。前職は、○○株式会社で営業をしており、〜〜〜〜でとかそんな経歴もない。いやいやいや。ないないない。ジブンでジブンを諦めていた。
こんな感じで困っているぼくを、いつもメンターのチベリンが助けてくれた。「こんなキセキある?」って確率で、途上国経験をしていたメンターさんに巡り会えた。
週末の面談はいつも1時間以上「おしゃべりしていた」感覚だった。楽しかったなぁ。あるときは、頭がスッキリして嬉しくて、一緒に写真撮ったときもあった。毎週話すごとに、自分の棚卸しをするように得意なことや経験を盛り込んで営業できるようになった。
チベリンと話す感覚は、うーん。例えるなら、こんな感じ。
ぼくが、山盛りの本を運んでいて、当然、処理しきれなくてこぼす。「ああー、やっぱりできない(TдT)」と凹む。(単純)
その時にチベリンがやってくる。
おかげさまで、パンクしそうなときも、切り替えて前に進めるようになった。あと、インデントはきれいに揃えるようになった(笑)そして、今もなお困ったときに相談するようになった。いつもお世話になっております。感謝。
自分のこれまでの人生を語り合い、肯定し合う「AI会」では、どこか経験(生態?)が似ているナナシロさんと、これまでの人生を涙しながら語り合った。お話のプロのナナシロさん。AI会後の、1本の映画を見終わったような感覚は今でも忘れられない。
なぜかナナシロさんは鳥肌が立つくらい、ぼくの奥底にある「アツいもの」を知ってくれていて、尊重してくれている。生き別れて、再び出会えた兄のような気がする。また飲みましょう。
受講後、古民家に移住。しんどかった6月。
受講中の週末に参加したイベントで、偶然出会った方にスカウトされ古民家キャンプ場の立ち上げのお手伝いをさせてもらった。古民家の周りの草刈りをしたり、サイトを作ったり、初めてお客さんを案内したり。お掃除したり、これまでの経験が、ぎっしりと詰まっていた。出会えたことに感謝。
梅雨でどんよりした日が続く。
全く未経験のWEBの方も、どんよりしていた。今思うと、単純に技術不足もあるけれど、「とにかく1人不安だった」って感じが適切かもしれません。”頑張って”WEBの仕事をしてみていた。
そう思いつつ「画面の向こうの誰のために仕事をしているのだろう?」と「どこか立て付けの悪いドア」が、自分にはまらない感覚も知りつつ、働いていた。
このときは、キャリアアップメンターのハヤシはしるさんにたくさん話して、助けていただいた。当時はよく眠れてないし、話していても、ヒモが絡み合ったように「何言っているのかわからない」状態だった。それにも関わらず、ハヤシさんは親身に、かならず最後まで向き合ってくださった。
このとき、「お金がない」「足りない」のが嫌なんじゃない。「お金のせいでチャレンジしたいときに、すぐ実行できないのがストレス」ということに気づいた。
そして、ぼくの好きな状態は、「みんなで、楽しい場を工夫してつくる”文化祭状態にする”こと」と最後の面談で言語化した。すこし、ヒモが解けた。いつかハヤシさんのように人の生き方のサポートをできる、かっこいい人になりたい。
夏が来た。取材・いすみでの教育事業デビュー
「人ともっと話して、深堀りしたい」と思ったのをきっかけに取材ライターに転向?(視点切り替え)をしてみたのもちょうどこの頃です。ハマさんの取材ライティング講座やライターチームにもお世話になりながら、どんなライティングならイヤじゃないのか?を考え始めました。
働き方としてもライティングだけではなく、清掃業務のアルバイトなどと掛け持ちをして半WEB半清掃員?みたいな生活をしていました。ちょうどその頃地域のイベントをきっかけに「星空スクール」を知り、夏休みの小学生の向け事業にスタッフとして関わらせてもらいました。
上の記事にも書いているのですが、ぼくにとって「楽しく遊ぶ」は必要な要素のようです。時にその遊んだことに「どんな面白さがあって、子どもたちとどんな学びがあったのか」を発信する手段がライティングだと分かるとすっきり。
毎回の写真撮影とレポート作成は本当に楽しくて、
と思うようにすると、少しホッとできた。
(↑長期休暇中は今でも子ども達との体験活動に携われている。)
営業と、インフラポケモンの戦略会議
夏がすぎると、またWEBにも戻りながら営業活動を再開。特にオアシスに移住してからゆくたけさんと毎週木曜日にコミュニティー談話をし始めたのもこの頃で。
ゆくたけさんともっと話そうと思えたのは、同い年で「あみがみ屋」をするあらたが「ゆくちゃんと、もっと話してみたら?」とサウナの帰りの車の中で言ってくれたのがきっかけだ…(思い出した)ありがとう。
アドバイスの通り、何気ない雑談からでも自分から話しかけてみることにした。すると、少しずつ自分の「身のこなし方の先輩」のような気がして気づきが増えていった。
ソフトスキルを生かして、人と人をつなぎ、いい感じの空気にする役割の「インフラポケモン」は2021年、”勝手に流行語大賞”になりました。
ある意味、コーディングができますとか動画編集で〜とか、営業成績が1位とかそんな数字で語れないことばかりしてきた自分にとって、このカタチのないソフトスキルをいかに言語化するかが大事だと気づけたのは大きい。。。
最もスッキリした言葉も置いておきます。
これです。
2022年は周りのみんなの「インフラ」を整えて、笑顔の総量を増やし、心地よく過ごしてもらえる存在になります。
低電力モードに。お休みも大事。
ここまで駆け抜けて来たことに加えて、ワクチン接種をきっかけに、少しおやすみモードに。頭のどこかで仕事のことを考え続けていたのか、ある日ポキっと気力が失われてしまい、一時休止。
また、他の要因としても、家族にうまく自分のしている仕事の様子が伝わらないとかで、もがく。「実家に帰るとなにか言われるかも?」「いや、でも今は帰るべきではないか?」みたいな1人会議を120回くらい絶賛開催した。
ただただ、よく寝て必要な分働いて、ぼんやりする。そんな時間も大切だなと痛感した。1度実家に帰った後は、12月のワークキャリア受講生に混ざって一新された講義をひたすら堪能。もう一度受けると、忘れていたことを思い出せて、自身をアップデート&デトックスできた。
中旬にはオアシスの同窓会が開催され、あたたかなシェアハウスに住めて幸せだなと感じる。白熱の断捨離を生で見れたのが1番の思い出。
12月下旬には、株式会社カニカピラさんで、発達凸凹の子どもたち・保護者向けの子育てサービスの立ち上げに参加することも決まり、お仕事も私生活も少しずつ安定して「取り戻せているな」と感じるように。ほっ。
2022年はどんな年にする?
2021年が夜中のように不安で長い夜だとするなら、2022年は「hinodeの年にしたい」
日が昇るときのように周りにいる人に、じわじわと熱を伝染させ、明るくする。
ちょっとツラい状況でも、最後は「ここにいてよかったな、コイツと一緒にいるとなんだか心地いいな」と想ってもらえるような存在になる。
身近にいてくださる地域のみなさん、hinodeのみんなに対して自分の得意技(スキル)を自信を持って使い切る。
人の話に耳を傾ける、人と人をお繋ぎする、状況を整理する、アイデアを考える、励ます、なんでもいい。自分が「自然に繰り出せる技」で、だれかを笑顔にする。
そして、小さなスキルでも、きちんと言語化する。いい感じで、耳触りのいい、ふわっとした言葉に集約するのではなく、自分を言葉で何度も再翻訳し、表現していくことを大切にしたい。年始からはhinodeの受付に座るようにもなったので、「やっほー」と子どもたちや地域の方が顔を出してくれるような存在でいるよ。
僕には、僕にしかできないやり方がきっとある。
2022年
前に、前に、進み続けます。(ときには、休憩もしながら…)