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「原則中心に生きる」ということの意味について

最近、いろいろな本を読んでいく中で感じる違和感がある。

特にコミュニケーションや営業に関する本を読むときに感じることではあるのだが、言語化すると「これを実践しても心が伴わなければ相手に見透かされるのでは?」ということだ。

つまり、こうすれば相手は喜ぶ!ということについて書いてあることを、相手を喜ばせるのではなく自分を喜ばせるために実践すると、相手は逆に自分に対して不信感を抱くことになる。

特に優秀な人やかんが鋭い人ほど、そういうことに気づく。

別にテクニック自体を否定したいのではない。
それを実践する自分自身の人間性や土台にある人格というものを磨くことを忘れて表面的なことばかりに目がいくのは違うよね、ということを言いたいのだ。

そう感じる僕が絶対的な信頼を置いている本に「7つの習慣」というのがある。

大学2年生の時にこの本をたまたま買って読んだのがきっかけだったのだが、定期的に読み返すくらいバイブルにしている1冊である。

なぜこの本にそれほど惹かれたかというと、成功する方法ではなく成功し続ける方法が書いてあるからだ。

つまり、それは時代を超えてもどんなにテクノロジーが発達しても通用する考え方ということ。これを身につければ、幸せな人生を送れることを確信している。

ただこの本と出会ってから10年以上、読んでも理解まで落とし込めないパートがあった。

「原則」に従って生きる、とはどういうことか?

それがなんと冒頭の「原則」に従って生きるということだ。

世の中は「原則中心」に従って動いているということを前提にして1〜7つまでの習慣が紹介されているのに、なんと自分は「原則中心」という意味を曖昧にしていたのだ。

ただふとした瞬間で、この意味がすごく理解できるようになった。

では「原則中心」とはどういうことか?

それは時代・年齢・性別・人種に関係なく、全ての人類にとって正しいことをすること、逆に正しくないことはしない、ということを中心に物事を選択することなのではないかというのが僕が導き出した結論だ。

例えば挨拶すること、感謝することは全ての人類にとって共通してやった方がいいことだろう。100年前は挨拶は無礼なことだったなんて聞いたことないし、アフリカでは挨拶することは相手を侮辱することなんてこともない。

では相手を裏切ったりすることはどうだろうか?これも全人類にとって、されたら嫌なことだし、時代を超えても嫌なことだ。

という基準で物事を判断すれば、自ずと人生は幸せな方向に向かっていくということがわかると思う。

ただそう考えた時に、原則中心に従った時に選択すべきことは頭ではわかるが、それを選択できない自分がいることなのではないだろうか?

考え方を変えるには500日かかる!

どの本を読んだかは定かではないが、人が習慣化するのには21日かかると言われているらしい。ただ習慣化するハードルが高いものはなんと500日もかかるというものだ。

とはいえ、人生は30歳から100歳まで2.5万日もある中で、そのたった2%の期間でしかないし、それができれば98%残りの人生がいい方向に向かうと考えれば、考え方が変わるように習慣化するチャレンジをした方がいいと僕は考えている。

自分自身も、原則中心の意味に到達したのはすごく最近ではあるけど、一過性ではなく継続的に成果を出し続けるためには何が大事なのか?というのを考え続けた時にそういう思考に変わっていったのだと思う。

ぜひ興味がある方は、実践してもらえればと思っている。







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