#描くようになったきっかけ
物心ついたころにはもう絵が好きだったため、「描き始めたきっかけ」というのは記憶に残っていないので、今こうして絵を描くことを仕事をするに至るまでの「本気で描くようになったきっかけ」について書くことにします。
ドラえもんだったか何だったかは忘れましたが、模写して描いた絵を大人が褒めてくれるもんだから、調子に乗って得意げに描いていた幼少期。チラシの裏、カレンダーの裏、白い紙があればどこにでも絵を描くこどもでした。
父親の仕事の関係で転校することが多かった小学生時代には、新しいクラスメイトに話しかけてもらえるきっかけにもなり、この頃から絵を描くことは身を助けるものになっていたのかもしれません。
絵が好きだといってもそれまでちゃんと学んだことはなかったので、神戸にあるデザイン専門学校に通います。ただ、それを将来仕事にしたいとか、プロになりたいとか、そこまでは本気で思っていませんでした。イラストレーターになれるなんて、選ばれし人だけの話だろうとハナから諦めていました。
2002年、卒業の年。世は就職氷河期で学校にはほとんど求人情報などありませんでした。自力で就職先を探しながら、一方で上京して違うスクールでもう一度学び直すのもいいかもな…と考えたこともありました。今思えば、イラストレーターになれないことを、どこかでちょっと学校のせいにしていたかもしれませんね。(アカン)
結局ヘタレなぼくは上京しませんでしたが、この時は「東京に行きさえすればなんとかなる気がする」と、なんの根拠もなく楽観的に考えていたので、そのまま行っていたらきっと痛い目を見たに違いありません。
求人雑誌で募集のあった大阪にある制作会社になんとか中途採用でグラフィックデザイナーとして入社できました。仕事は多忙を極め、毎日ノルマをこなすだけで必死。そうして次第に絵を描く時間はなくなっていきました。1年以上はまったく、1枚も絵を描いていなかったと思います。
会社での仕事に慣れるにつれ、いつしか気持ちのどこかに「自分の名前で仕事がしたい!」という思いが芽生え始めました。そう思った時に、また絵を描きたいと思ったのです。
徐々にその気持ちは高まり、なんでもいいから活動したくなって居ても立ってもいられず、週末の繁華街でポストカードなどを路上販売をしたこともありましたが、まもなくやめてしまいます。(※詳しくは過去投稿に書いてます)
そんな折、大阪のラジオ局FM802が企画する「digmeout」が始まりました。大阪から日本中へ、果ては世界へ羽ばたくアーティストを発掘するというプロジェクト。大阪にいてもこんなビッグチャンスがあるのか!!と、嬉しくて打ち震えました。
毎年1度行われるオーディションに合格すればこのプロジェクトの一員になれる。もしかしてそこからプロデビューできるかもしれない!という、わかりやすい目標ができたぼくはそこから描き始めます。大げさではなく寝食を忘れるほどのめり込みました。ここがきっと 本気で描くようになったきっかけ だったんだと思います。
1年に1度のチャンス、持てるすべての力を作品ファイルに込め送りました。ポストに投函するときには自信満々、バラ色の未来だけを想像していました。身の程知らずの能天気なお気楽野郎です。
結果は落選。翌年も、そのまた翌年も落選。人生そんなにうまく思ったとおりにはいかないものです。お気楽野郎は打ち砕かれました。悔しかったですし、不甲斐なかったですが、その気持ちがぐぬぬ、、、、次こそは…!というエネルギーに変わりました。
とうとう最後まで合格することはできませんでしたが、その数年間ひとつの目標に向かい情熱にまかせて描いた絵は数え切れません。いつしかプロになるとか仕事を得たいとかそういうことではなく、ただ好きという気持ちだけで絵に向き合えた時間は今につながる大きな礎になっています。
この絵を誰かに見て欲しい、自然にそう思えるようになってはじめての個展も開きました。そう、小学生時代のようにまた絵で誰かと繋がりたいと思うようになったのです。
このはじめての個展をきっかけに、おどろくほどの人の繋がりが生まれ、気がつけばこうしてイラストレーターとして仕事をするまでになりました。あのときの情熱は尽きることなく今も続き、こうして毎日絵を描き続ける生活を送っています。さあ、来月も個展が控えています!
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