「どこにいても仕事ができる」ということは
気がつくと2日3日こもりっぱなし。普段家で仕事をしているので、打ち合わせなどの予定がないとほとんど外へ出ないこともあります。ちなみに今日は朝のゴミ捨てで出ただけの引きこもり状態。
イラストレーターとしてのお仕事は基本的にPCがあればほとんどの作業をひとりで済ませられますし、ネットのおかげで家に居ながらにして遠くのクライアントとやり取りができます。
まだまだITインフラが整っていなかった20年も前だとこんなふうにはいかなかったでしょうから、いい時代にこのお仕事ができているなぁとありがたみを感じています。
インターネットが距離のハンデをなくしてくれた
ぼくはいま兵庫県神戸市で暮らしています。大阪で生まれて何度か引っ越しはしているものの、ずっと関西在住です。そんな生粋の関西人なぼくですが、15年以上前に一度、デザイン専門学校を卒業するタイミングで上京を考えた事があります。
イラストレーターになるためにはチャンスの多い東京を拠点にしなければならない!という思い込みと、単純に上京すれば何とかなるかもという憶測からくるものでした。なんとも適当で無計画だった20歳。
結局上京することなく大阪で暮らすという選択をしたわけですが、それでイラストレーターになるための道が閉ざされるということはなく、今こうしてちゃんとお仕事をいただいて生活ができています。
それはひとえにインターネットが普及したおかげだと思っています。例えばそれまでは自分が東京にいなければできなかったであろう仕事が遠く離れた大阪にいてもできる。距離のハンデをなくしてくれたのです。
今や神戸にいながら全国各地、果ては海外のクライアントとのやりとりさえ可能になりました。極端な話をするともう外へ出る必要なんてないのでは!?と思うくらい。
「どこにいても仕事はできる」は、つまり
本当にそう思います。山奥にいても、離島にいても、海外にいても。どこにいても仕事ができる時代になったのだなと実感しています。
けれどそれは何もぼくに限った話ではなく、もちろん他の人も皆そうなんですよね。ということはそれだけ多くの人が同じクライアントを奪い合う、ある意味仕事上のライバルにもなるわけで。
インターネット社会なので国内に限った話ではないです。海外のクライアントと仕事ができるようになってきたということの裏には、同じように海外のクリエイターも日本のクライアントと仕事ができるようになっているということ。
知らないうちに世界規模のお仕事争奪イス取りゲームに巻き込まれている。そう考えると便利な時代だと言ってうかうかしていられないです。
「どこにいても仕事ができる」は、つまり「どこからでも仕事が奪われる」
ということでもあるのかもしれません。
なんだかんだ言いながら、結局は場所も大切と思う
もちろんその時代の流れに逆らうことはできないです。ネットを駆使して世界を舞台にイスを取り合うんだという姿勢はますます大事になっていくでしょう。けれど力を注ぐべきはそこだけでしょうか?
いろいろ考えるうちに結局は場所も大切だと思うようになりました。そこに自分がいるということに価値があるのではと。さっきまで書いていたことのまったく逆の答えです。オイオイ。
例えばぼくの場合、神戸に住みながら、神戸の人たちと一緒に、神戸のための仕事をする。ということです。神戸にいるからこそ見えること、感じること、思うこと。これはそこにいなければわからないことなので、他の地域、他の国の誰か別の人に簡単に取って代わられるものではないのではと。
地域や自治体でなくても良いです、コミュニティでも、仲間でも。自分が今いる「場所」というより「居場所」とい言ったほうが正確かもしれません。自分はそこで何ができるのか、どんなことで役に立てるのか。そこに軸を置いた活動や人間関係はきっと揺るぎないものになりますよね。
いま、ありがたいことに神戸に関するお仕事をたくさんいただいています。さらには今度、生まれ故郷である大阪府枚方市でもお仕事させていただく事になりました。なんだか不思議なご縁を感じることも多いです。
便利な世の中のおかげでどこにいても仕事ができる時代。だからこそ自分の今いる場所やゆかりのある場所のこともちゃんと考えたい。
世界に向けて羽ばたき広く大きくアピールしていく部分と、地に足をつけてしっかりじっくり歩いていく部分、どちらもバランスよく取り組んでいきたいと思います。
あー 我ながらめちゃくちゃ真面目な仕上がりに…
油断するとすぐこうなる