「わからない」から、先回り。
スタートアップスタジオquantumで広報まわり全般を担当している木村です。木村が一人しかいない会社なのですが、なぜかみんなから下の名前でしゅんすけとか、俊介さん、とか呼んでもらってます。
広報なら、quantumとはどんな会社か?スタートアップスタジオとはなんぞや?を書いていくべきかとも思ったのですが、それについてはWEBサイトを見ていただくことにして。
noteでは僕自身が日々、新規事業の立ち上げに並走したり、quantumのメンバーと話したりする中で「遭遇したり/感じたり」する、プレスリリースに載ることのないスタートアップスタジオquantumの日常や、日常における個人的な気づきなどを日記的に書き留めていければと思います。
ゆるくお付き合いいただければ幸いです。
みんなが等しくわかることって、大事だけど大変だ
で、突然なんの話だ、と思われるかもしれませんが、ハンバートハンバートというミュージシャンの「国語」と言う曲がありまして、僕はこの曲が好きでよく聞くのですが、この曲、軽快な曲調とは裏腹に、結構思い切ったことを歌っています。
” みんなが普通に使っている
そのコトバの意味がわからない
ねえ、イデオロギーって?
ねえ、アイデンティティって?
辞書を引いてみてもわからない ”
ハンバートハンバート「国語」 より
後半になると、「わからないくせに使うなよ」とか、「だます時にだけ使うなよ」とか、どんどん強い言い方になっていくのですが、そこまで強烈なことを思うことはないにせよ、スタートアップスタジオの新規事業周りの日々も、油断するとまさに、「みんなが普通に使っている/そのコトバの意味がわからない」の連続だったりします。
(ハンバートハンバートのこわさとやさしさについては友人でもあるツドイの今井くんが2年前に書いてくれていたのでそちらをぜひ)
quantumの説明をしない、と言っておきながらちょっとだけ説明してしまいますが(いいぞ、広報っぽい)、quantumは「世の中を明るく、人々の生活を豊かにするプロダクト、サービスを次々に生み出していくスタートアップスタジオ」です。
事業のビジネスサイドを担当するベンチャーアーキテクトから、プロダクトデザイナー、アートディレクター、エンジニアまで現在約40人のメンバーがいて、プロジェクトごとに最適なチームを組み、未来のビジネスをどんどん生み出すべく日夜取り組んでいるわけですが、いわゆる新卒採用を行なっていないので、メンバーはみんなそれぞれ別々の経歴を歩んでquantumへと集ってきた人たちです。(クリエイティブダイバーシティに富んだメンバーたちの話はまた追ってどこかで)
先ほど書いた「みんなが普通に使っている/そのコトバの意味がわからない」わけの一つはここにあって(もちろん、僕の不勉強により、普通に意味がわからないだけ、というケースもありますが。)いわゆる、業界用語というか、職業柄毎日のように使う言葉だったり、専門性において、特殊な意味を帯びる言葉って、実は結構多いものです。
わかりやすい例でいうと、以前quantumに所属していたエンジニアのメンバーと話していた時に「適当」という言葉のニュアンスの違いに驚いたことがあります。一般的な感覚で言うと「適当にやっといてよ」と言われたら、まあ、ふわっと、力まず、とにかく自分の判断でやっておけばいいのね、くらいの認識だと思うのですが、彼に言わせると、「適当にやって、というのは、エンジニアにとっては、適していて当然な状態にしてくれ、ということで、すごくきちんと詰めて、ミスの起きないようにやってくれ、と言う意味」なんだ、と。
アートディレクターが話す時の「デザイン」と、クリエイティブデザイナーが話す時の「デザイン」、サービスデザイナーが話す時の「デザイン」はそれぞれ含みこむ領域が違うでしょうし、それこそほかにも例をあげればきりがないのですが、意外とシンプルな言葉こそ、人によって思い描く領域が違ったりしていて、様々な職種で経験を積んできた人が一同に集まったquantumのようなスタートアップスタジオでは、みんなが等しくわかることって、実は結構大変なことだと思ったりします。
でも、だからこそ、みんなが等しくわかる言葉で話すことが大切だ、とも思うのです。
異なる職能の人たちと日々働き、パートナー企業の様々な領域から集まった新規事業部の方々と向き合うquantumのメンバーたちは、それゆえか、自然と、なるべく「新規事業界隈だけの専門用語」みたいな言葉を使わないようにしているように感じます。
「読者」を想像して話すと、「わからない」が見えてくる
僕自身は、社会人の一番最初のキャリアをマガジンハウスという出版社で過ごしました。2つの雑誌の編集部にそれぞれ所属し、雑誌編集者として誌面を作りながら、時には読者と直接オンラインでコミュニケーションするオンラインカレッジ(今思えば早すぎた)の企画、運営などに関わってきました。
雑誌の編集の仕事はとても楽しく、自分にも合っていたのですが、自分よりもっと優秀な編集者たちに出会うにつけ、彼らの持つ編集力を誌面作りだけではなく、事業や場のプロデュースにもっと活かしていくべきだと考えるようになりました。
しかしあまりにもビジネスやお金の流れについて知らなすぎた当時の僕は、出版社にいながらそうしたビジネスプランを組み立てていくとか、あるいは、事業アイデアを練り上げて起業するとかそういう考えには至らず、その時としては精一杯の決心をして、社会勉強の意味も含めて、広告会社に転職することを決めたのでした。
広告会社を経て、quantumにたどり着き、今は冒頭でも書いた通り広報として、会社自体の広報や、メンバーが立ち上げた事業のPR、大企業と共同で取り組んだ事業のPRなどをメインで担当しているわけですが、この時、いつも気をつけていることが、「"読者"を想像して話そう」ということだったりします。
話すのに、読者?と思われるかもしれませんが、僕は元雑誌編集者なので、これが一番しっくりくるのでそう言っているだけで、聴衆でも、ユーザーでも、お客さんでも、なんでも構いません。要するにこの言葉を発したら、相手はどう受け取るか?理解してくれるか?をとにかくできるだけ先回りして、想像しながら話そう、ということです。
quantumが取り組むのは、基本的に新規事業なので、まず、今まで世の中に存在しなかった新たな価値を説明しなくてはなりません。ですが、事業を作り上げてきたfounderや、担当してきたプロジェクトのリーダーたちは、終始その事業のことを考え、議論してきているので、もはや"読者"たちにとってどこまでが既存の情報や認識で、どこからが新しい価値か見えなくなっていることが多かったりします。
専門用語も、founderたちの熱い想いも、プロジェクトメンバーたちの経験してきた紆余曲折も葛藤も、"読者"たちは何も知りません。その人たちにどうやって、その新しい事業の価値を伝えるか。そのことを念頭に置いて喋る(あるいは書く)ことで初めて、みんなが等しくわかる状態を作っていけるんじゃないかなと思っています。
雑誌を作っていた時に、編集長によく言われたコトバが今でも心に突き刺さります。
「君がこのページ作るのにどれだけ頑張ったとか、どんな苦労したかとか、読者には全く関係ないからね。このページを読んで、読者が何を感じるか、何を受け取るか、もうちょっと考えてみたら?」
…はい、編集長、おっしゃる通りだと思います。これは、「ページ」を新規事業に、「読者」をユーザーに置き換えても、全く同じことが言えるかもしれません。
「わからない」を先回りしあえると、チームも事業もうまくいく(はず)
様々なプロジェクトや新規事業の現場に並走する中で感じるのが、(よく言われることではありますが)うまくいくチームはメンバー間で同じビジョンが思い描けている、言い換えれば「共通言語が持てている」ということです。
quantumでローンチした事業や、支援したプログラムに関するインタビューなどを実施しても、よくそうした話が出てきます。
もちろん、もともと感性が近くて、同じ未来を見ていて、発する言葉の意味も直感的に理解できるベストパートナーみたいな人たちがチームを組めたらなんの苦労もないのですが、そんなケースはほとんど奇跡に近いはず。実際は、多種多様な考え方を持つメンバーの理解と感性を揃えていくステップが必要になると思います。
このnoteの最初の方でも書いたように、quantumのメンバーと話していると、(誰もハンバートハンバートの歌詞を意識しているわけではないと思いますが)自分が普通に使っているその言葉が、果たして相手にちゃんと伝わっているのか?をいつも考えてくれているように感じます。
コンサル出身者には、この言葉がこういう意味なのは"常識"だけどみんなには「わからない」かもしれない。エンジニア的にはこのステップは"やって当たり前"だけど、みんなには「わからない」かもしれない。(だってみんな、育ってきた環境が違うから。)
このチーム内の「わからない」を、先回りしてフォローしあうことが、自ずとチームの理解を揃え、共通言語を産み、さらにこの伝え方では、この事業の伝えたい価値がユーザーには「わからない」んじゃないか?という議論が、事業のアウトプットの質を高めることにつながっていくはず。
スタートアップスタジオの広報としてはさらにその先に「"読者"を想像して」、こうして生み出された事業、プロジェクト、プロダクトの価値がより広く、世の中全体に広まっていくように、語っていくことができれば。
日々、そんなことを考えています。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?