ソーシャルキャピタルの観点から「DO with」と「Do for」の違いについて
さて、ソーシャルキャピタルの古典である「孤独なボウリング」には、
こんな記述があります。
社会関係資本が指し示すのは、社会的なつながりのネットワークであり、すなわち「共にする」ことである。他者の「ためにする」善行は、どれほど関心なことであっても、社会関係資本の定義の一部ではない。(P135)
これ、非常にコミュニティ活動の中で重要なのだと思います。
先の記事でも触れましたが、少ないメンバーの時は、
友達感覚で付き合いをしていることでコミュニティが育まれていきますが、
人数が増えていくと、段々とコミュニティを「マネジメント」しなければならなくなってきます。(人数が増えることで、顔の見えない関係が生まれたりするので、特に関係性のメンテナンスが重要になります)
そして飲み会をしよう、遊びに行こうというのも、全て「メンテナンス」の一環になってしまうのです。
つまりこれって、最初は「共にする(Do with)」だったのですが、
気づいたらコミュニティをメンテナンスするために(Do for)になっているんですね。
そうすると、コミュニティの中でソーシャルキャピタルは育まれてないということになります。
例えば地域の草刈りとか、地域のゴミ拾いとかも、
「ボランティア」として「誰かのために」という意識が強すぎると、
ソーシャルキャピタルが本質的には育まれていかないのです。
そうでなく、地域の中の顔見知りの人たちと一緒に「共に時間を過ごし、共に行う(Do with」が大事なのです。
(例えば中高の時の文化祭の準備とかってそうですよね、
クラスメイトと一緒にあ〜だこーだと言って手を一緒に動かして色々作る、あの時間が楽しかったりしますよね)
こう考えていくと、効率性や役割分担というのは一緒に行う時間が減ってしまうので、あまりソーシャルキャピタルにはよく働かないのかもしれませんね。
ただ、「一緒にする」って結構難しいですよね、どんな動機で行うのか・・・。特に初めましての人とか多い中で、、、と思うかもしれませんが、こんな記述があります。
互酬性のシステム内における個々の行為は、短期的愛他主義と、長期的自己利益と呼びうるものの組み合わせによって特徴づけられる(P156)
つまり、短期的には目の前の人や地域に住む人とともに行うことを楽しみつつ、長期的には、自分の利益になるだろうなぁという思いを持って「Give」していくことが大切なようです。
コミュニティって短期的に見ると自分の利益は少ないからあまり活動を行わないとう思考になりがちですが、長期的な視点に立つことで、巡り巡って自分に返ってくることということなのだなぁと思います。
でも、ここで、疑問も生まれます。
「地域に住んでいる人がいい人ばかりではない。
自分ばかりが動くことで、ただ所属している人が得をするんじゃないか?」
という思考です。
つまり「信頼」の話が重要になってきます。
一般的互酬性による社会は、疑り深い社会よりも効率が良い。誠実性と信頼は、社会生活において避けがたい摩擦に対する潤滑油となるのである。「正直は最善の策」とは、他者が同じ原則に従う時のみである。社会的信頼が価値あるコミュニティの資産になるのは、それが保証された時である。単なる信頼ではなく、信頼性が鍵となる。
ここは山岸教授の本がとっても参考になるので、
何回かに分けて書いていきたいと思います。