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シン・ニホンを読んで〜岩手県陸前高田市広田町にて「NPO×政治家×アカデミック」の視点から〜

書評は本の要約などはいろんなところでいろんな人が出しているので、
この記事では書きません。
一番わかりやすいのは、やっぱり中田さんの、Youtube大学かと!

この記事では僕が思ったことや考えたことをかきます。
視点としては、

・東日本大震災から1年後に被災地陸前高田市広田町に移住して、復興→まちづくりを行い続けてきている。
・「あしたのまち・暮らしづくり大賞」において内閣総理大臣賞受賞、日本マニフェスト大賞においてシティズンシップ推進最優秀賞受賞など、地方から未来に対して仕掛け続けているNPOの理事長である。
・陸前高田市議会議員として4年間、政治の世界にいた。
・アカデミックな領域に今年からジョインしている。(修士課程スタート、非常勤講師業スタート)
・日本の中で1番の大都市東京と、人口3000人の過疎の町をこの9年間、1ヶ月に1回程度ずっと行き来している。

ここら辺の視点から書いてみたいと思います。

(1)AI-readyが必要だけども田舎・周辺地域でどう現実化するか。

まず、地方といっても仙台のような場所を思い浮かべる人もいれば、盛岡のような場所を思い浮かべる人もいると思います。一方で、地方の町の商店街のあるような中心地を思い浮かべる人もいれば、本当にトトロの世界のような日本の原風景の残る田舎町を思い浮かべる人もいるかもしれません。
僕がここで言う「地方」は、そう言う意味では、トトロの世界です。

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自分で作った図だし、当然荒いし、抜け漏れ被りもあるし、正しい分け方でないのだろうと思います。

ただここでイメージが伝われば良いのは、「地方」や「田舎」といってもそれぞれで思い浮かべるものが違うのでそれのイメージ合わせをしたかったということです。

そしてこの図で言う「田舎・周辺地域」においてはAI-readyを押し進めるのは本当に至難の技だと感じます。

まず、住民の高齢化率が60%以上がほとんどであり、若者世代の大学進学率はほぼいません。(進学した人は基本的に若いうちは帰ってこない)。
基礎自治体職員や議員も含めてAIについて話せる人材はほぼいなく、当然行政からの予算も付きずらいです。
またよそ者がきて、いきなりいろんなことをやろうものなら町の人の協力を得ることはできません。
ユーザーがいない、リソースがない、協力者がいない。
この条件不利すぎる地域でAI-readyが大切だからといって、
押し進めることができる人はいるのでしょうか。

僕らは現在9年、この町(人口3000人)で活動をし続けています。
20代の移住者も25名を越しました。(この町の20代は100名なので、20代人口125%増です(笑

それでも、「シン・ニホン」にあるAI-ready化企業ガイドラインで言うと、レベル1企業です。地方移住にバリバリ理系の人で興味を持つ人はなかなかおらず(上述したとおり不利すぎる)、文系AI人材は戦略として育てる必要があるのは本を読んでわかるが、現実的にはおらず、そこに対する資金的学習援助なども皆無です。
どう突破し、日本の中に「田舎・周辺地」をAI-ready化していけるのか?というのは現実的な解を僕たちも模索したいです。

(2)大学・アカデミックの弱さの話

 この部分について、自分の専門でもあるNPO研究の実態について書きます。
時代が変わり、利益至上主義、稼げば良いと言う時代は終わりました。
成熟社会となり、一人一人の豊かさは変わり、それを追い求められる時代とな離ました。一方で社会課題は増え続け、複雑さをましています。
そんな中、NPOなどの活動は非常に重要でありますが、その社会的プレゼンスが日本は絶望的に低いと思っています。
アカデミックの領域で少し日米比較してみますと、

■アメリカ:
・人口 約3億人 
・NPO数 130万(就職したいランキングでも上位になるようなNPOもある)
・1億円〜10億円ぐらいの事業規模のNPOの職員平均給与は約1000万円。1億円未満の事業規模で職員平均給与650万円。
・年間のNPOに関連する論文数 400以上
・NPOの学位が存在する。

■日本: 
・人口 約1億人 
・NPO数 5万 
・平均年収180万円前後(またNPOの年間売上1000万円以下が50%以上)
・年間のNPOに関連する論文数 50本程度
・NPOの学位は存在しない。
(筆者作成)


毎年毎年、アカデミックの部分で差が開き続ける構造にあります。
そして日本にはそもそもNPOを研究する拠点すらありません。

研究が進まなければ社会的プレゼンスは上がらず、
資金も巡ってきづらいです。
若者が社会課題の解決のために活躍すべきソーシャルセクターの受け皿が拡がらない状況があると僕は見ています。

(3)政治の話

「資金を数%若者支援に当てれば良いだけ」と書かれています。
まさにその通りだと思います。

ではなぜ変わらないのか?その力学、システムは?
私自身が26才で陸前高田史上最年少で市議会議員をさせていただき、1期務めました。
私が26才で入ったが、17人いる議員の平均年齢は60歳オーバーでした。

誰が若者のリアルがわかるのでしょうか。
若者だけの問題ではありません。
例えば、現在の非正規雇用の割合は37%、
東北地域に限定すれば6割を超えています。
そんな社会情勢の中で、若者の現実を直視し、
構造を変えられる政治家が生まれるのでしょうか。

そのモチベーションが議員や自治体幹部職員(どちらも平均年齢60ぐらい)の間で生まれるのでしょうか、甚だ疑問を感じます。
(これは別に陸前高田市を言っているわけではない。)

じゃぁ若い奴が政治に出ればいいだろう!と思われるかもしれません。
地方議員の年収をご存知でしょうか。
その基礎自治体の税収などを参考に決定されるので、
一概には言えませんが、
・議員だけの収入で家族を養っていくには大変である。
 (実際不可能であった)
・しかも年金はない。(国保である)
・4年後(任期終了後)の補償は無い。
・選挙の時には選挙費がかかる(平均200万円と言われている)
・兼業はできるが、議員の仕事を第一優先とすべしと言われる。
(尚且つその予定が1週間前に唐突に決まることなどザラである)

若者にとって魅力的な仕事になり得るのでしょうか?
ここにも解決すべき課題が複雑に絡み合って横たわっていると思います。

(4)「風の谷を創る」運動論について

この運動論は先にインターネットの記事で知ったのですが、
とっても好きです!(笑
そして触発されすぎて「風の谷のナウシカ」のコミック全七巻購入して、
絶賛読んでおります(笑

いくつか異なる点もあるとは思うのですが、概ね、私たちが取り組んでいることと方向性は同じだと思いました。

その上で運動論として昇華させていく上で1つの自分自身の活動のヒントにしたいのが、イタリアでの地方創生の取り組み事例です。

これにあるのですが、
イタリアでは、
・政府のスローフード運動
・政府のスローライフ志向に根ざしたスローシティ運動
・アグリツーリズムの推進

ここら辺の政府の政策の後押しがあって、更に運動論として広がっていったのだと書かれていた。

そうであるならば、日本もそうすればいいと思うでしょう。
実際に地方創生の政策は数多く打たれています。
しかし、日本の政策は都市と田舎の関係性に関して揺れており、
現在非常に不確実な状態にあるとみています。
(このことについては、
改めて問われる地方の価値とは。日本全体が持続可能な社会になるためには?」にて、詳細記述)

また日本の地方行政の歴史的背景から、
主体的に取り組むことには慣れていないことから(ここら辺の歴史的背景はそのうち書きます)、
このような不確実な中で、真のリーダーシップを持った地方自治体長がいるかどうかは非常に重要です。
ただ、そこまで望めないとすれば、国家的主導が必要だと考えています。

そもそも、大きな課題だと感じているのは、
日本の場合は
「地方の衰退は地方の問題でしょ?」
「都会に住んでいる人が助けに行ってあげている」
という意識が多くの人にあるのではないか?ということです。

でも地方の衰退の問題は、
「日本社会がサステナブルになるための日本国民全員にとっての問題」
だと私は思っていますし、そう思う人が増えない限りは、
解決へと向かっていかないと思います。
そう、都会に住んでいる人が意識を変え、行動を変えていくことが必要です。(なので以下で書く「開疎化」の流れは非常に重要です)

またこの見解自体は、京都大学の広井教授の考えに立脚しておりますので、お時間ある方はみてみてください。


これらを踏まえ、運動論へと昇華させていく上で、
ボトルネックになっていること、
突破できうるところを、
地方にいる身として仕掛けていきたいと考えています。

(5)withコロナ時代における開疎化の流れも受けて。


そしてコロナ以降に「開疎化」という言葉で発信されています。

つまり、開放された、疎(人の少ない)地域へという強いトレンドがこれから起こっていくだろうとのこと。

ここら辺の考えと、そしてシン・ニホンにある人材像との間で、
僕は少し違う未来をみています。

それは専門性を高めた人材を育て、グローバルに競争していくという未来ではなく、ある一定の経済圏を確立し、過度な競争が少ないリアル&バーチャルのハイブリット型ソサエティ(なのである意味では一人ずつ同じ場所にいながら違う社会を生きれるようになる)の構築です。
それによって一人一人の専門性が高くなくても生きていけるし、
尚且つ社会に中で役割がある、これは狭い物理的な地域ではなく、社会全般の中での自分の存在価値を感じられるという、
懐かしくも新しい未来があるのではないかと考えています。
(なぜ専門性が高くなくていいか?については、
「昔は一人で様々な分野で活躍していた。そこに「シンプルに生きるヒントがある」をご覧下さい。)

競争やグローバル化が全て人々の豊かさにつながるわけではありません。
むしろその資本主義のゲームは終わりにしていいと思っています。
(と、山口さんもおっしゃっています)


開疎していく中で、人材要件も変え、その人たちが豊かに生きれる新たな経済圏の確立をどう模索するか、僕はここも非常に重要な観点だと感じています。

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まだうまく言語化できてないですが、少しでも伝われば嬉しいなと思います。

著者の安宅さんのとても面白そうなイベントがあるので、
聞きにいきたいなぁ。


以上、つらつらと書いてきましたが、まだまだ読み込んでいき、
実践を重ねることでより深い理解ができるのだろうと思う。
いくつもの視点があるので、いつかまた書いてみたいと思う。


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