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第十話 「生きている」→「生かされている」


合計3回の現地での活動を終えて、強く、強く感じたこと。
それは、
「私たちは生かされている」という事。

今の若者世代。
生まれた時から経済的に発展しており、
不自由なく暮らしてきた人もいると思う。

だから、
自由とは、元からあるもの。
権利とは、与えられるもの。
「生きる」とは、当たり前のこと。

そういう風に思っている人が多いのかもしれない。


でもね。
「もし自分が・・・。」で考えてみてほしい。

もし自分がアフリカの子供だったら?
もし自分がHIVに感染していたら?
もし自分が独裁政権下で暮らす人だったら?

自由は得るもの。
権利は掴み取るもの。
「生きる」とは、「有り難い」こと。

そういう風に思ったと思う。


今回の東日本大震災。
多くの方が亡くなられた。

そして被災地で生き残った人たち。
彼らは、皆が皆、誰かしら自分の知人を
失っている。

「なぜ自分じゃなくて、あいつが死んじゃったんだ。
なぜ自分は生きているのか?」
「自分は生かされた。」
そういう感覚の人が多いんじゃないかな。

では、東京の私たちはどうだろうか?
「自分は生かされている」
という感覚はあるのだろうか。

たまたま地震当日、自分が東京にいたから生きられた。
もし東京で起こっていたら、自分が死んでいたかもしれない。

たまたま日本で生まれたから、テロに怯えずに暮らせる。
たまたま日本で生まれたから、飢餓に苦しむ事もなく、学校にも行ける。

そう考えていくと、
私たちは大いなる犠牲の上に生かされていることが分かる。

私たちは自分で生きているのではない。
自然に、社会に、人に
「生かされている。」

ならば、それらに対して感謝すべきだし、
それらとの繋がりを大事にするべきなのだと思う。

そしてこの時代の節目に生きているからこそ、
これからの日本を作っていきたいと強く思う。

広田町防災本部の方はこうおっしゃってくれた。
「今の若者には、ぜひ現地を見てほしい。
そしておまえらが学んで、おまえらの糧にしてほしい。
新しい日本を作っていくのはおまえらだよ。」

その期待を胸に。


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