価値ある弱いつながり(紐帯)について。
ソーシャルキャピタルの中で言われる、「価値ある弱い紐帯」について。
グラノベッターさんという方がハーバード大学の学生を研究する中で見つけたことだそうだが、簡単に書くとトップにあるような感じだ。
Aグループにとって当然になっている当たり前な情報aがある。
Bグループにとって当然となっている当たり前な情報bがある。
この両者のグループが分断しているとすれば、
お互いに情報を知ることはできない。
ただ例えば、Aグループの人とBグループの人が交流(弱い紐帯)があり、
Aグループの人がBグループの人に情報aを持っていけば、
その情報はBグループにとっては当たり前な情報ではないので、
希少性が上がる。逆もまたしかり。
「情報の価値を高める戦略として、コミュニティを跨がせる。」
というのはあるようだ。
前にNPO法人コモンビートの代表理事の安達亮さんのnoteでも書いてもらったことでもあるが、実際にコミュニティを越境すると楽しさがある。
両団体それぞれの団体で当たり前なことが他の団体では違うのだ。
当たり前なのだが理論的にはソーシャルキャピタルの中で出てくる
「価値ある弱い紐帯」なのだ。
ただ、これの難しいところは、
①情報が普遍化したら、情報の価値は下がっていく。相対的に
"その"弱い紐帯自体も価値が下がっていく。
→例えばAグループとBグループの交流が活発になり、たくさん交流しまくろ!となっていくことで情報はお互いにとって当たり前、になっていく。そうなると両者の紐帯は逆に強い紐帯になり性質が変わる、もしくは弱い紐帯のまま価値が薄れるということが起きる。
②どれが”価値ある”弱い紐帯になりうるのか、わからない。
→今回のコロナなどでもそうだが、思わぬところから助けていただいた方がたくさんいた。ただ、そういうつながりが「価値ある」ものなのかどうかは「コロナ」になるまでわからなかったし、「コロナ」の性質上、「価値」に変わったものもある。
日々、忙しく、多くの人と出会う中で、どの「弱い紐帯」を大切にし、
いかにキープしていくかはとても重要な観点なのだと思う。
ちなみに先日、うちの会社のメンバーが「越境学習」についての勉強会を開いてくれていたのだが、そこでの資料が面白かったのでシェア。
上述に当てはまるけども、
コミュニティ同士が越境して似ているものを出し合い学ぶことで、
お互いにとって「当たり前」だった情報が違うものに変化し、それを各コミュニティに持って帰ることで変革していく原動力へとなるようだ。
深い、越境学習。(ちなみに「越境(コミュニティの境界)」に関する研究は1980年後半ごろからされていたようだ。
さらにちなみに(笑)
withコロナ時代、新しい出会いが少なくなる中で、
コミュニティを飛び越えていく、越境していくことで、
コミュニティ同士を混ぜ合わせることがとても大事なことだと感じています。
それは、コミュニティ内の信頼できる方同士をつないでいくので、
早く信頼関係も構築できると思っていて、
そういう出会い方がwithコロナ時代のスタンダードとなっていくと思っています。
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