改めて問われる地方の価値とは。日本全体が持続可能な社会になるためには?
日本の田舎って「都会への供給地」として位置付けられてきたんです。
前に大学院でやったものでは、
大久保利通が東北視察を行った時に、
「ここは中央への供給地にしよう」と決めたようで、
それに伴って陸路、海路が作られていったということです。
(もっと歴史を辿ればさらに見えてくるものもあると思いますが)
なので地方の一次産業の政策も基本的には、
単一品種を大量生産して、中央に送るというスタイルです。
(例えばわかめ養殖漁家があったり、例えばりんご農家があったりする。)
ただ、今回の新型コロナウイルス感染症が起こって、
田舎の価値が見つめ直されています。
今年の4月に、総務省の過疎問題懇談会が国への提言をまとめた。
その中には以下のようなものが書かれています。
(出典:総務省、過疎問題懇談会 「新たな過疎対策に向けて〜過疎地域の持続的な発展の実現」より)
「先進的な少数社会(多自然型低密度居住地域)」にしていくことが大切だと。
食・生活・芸能・文化など多様な価値を発展させていくと。
これ、これまでの政策と矛盾することが起きるんです。
上記であれば、例えば食糧で考えれば、
多品種少量生産のほうがいいんです。その町で暮らす豊かさを向上させることが大切であり、多様でその土地土地の記憶を活かした、様々な作物を作り、それを食すことでその土地の食文化を育てたほうが先進的な少数社会につながります。
一方で今までは「中央の供給地」だった単一品種大量生産が基本だったので、国の政策や役所の意識もここにあると思います。
今、日本の田舎は役割をどこに設定するかで、
制度の狭間にいるのだと思います。
さて、各自治体がどのように舵をとっていくのか?それによって未来が大きく変わっていきます。
このwithコロナ社会の中で、
そして経済至上主義からのより戻しが徐々に起こっている現代において、
「日本全体が持続可能な社会になる」という観点で
多くのプレイヤーで話し、都市と田舎の新たな関係性を定義し、
進んでいくことがより求められていると思います。
ちなみに。
「多品種少量生産」ってつまり、百姓ですね。
百姓って「百の仕事ができる人」っていう感じが語源ですもんね。
そういう生き方やライフスタイルが求められてくるのかもしれませんね。
ちなみに。
狩猟採取時代から農業革命が起こったわけで。
その時から単一品種大量生産って行われてきたんですが、
狩猟採取時代の方が個人で見た時には幸福度が高かったのではと言われているそうです。
単一品種大量生産によって、一人当たりの労働時間は伸びたし、
健康に関しても季節できるものだけを食べてきた時代と変わるので、
偏りが生まれたりしたようです。
革新の裏側には必ず失っているものがあるんだなぁと思いました。