官民協働がうまく進まない構造的な問題とは?
(写真は記念すべき2015年9月、市議会議員にならせていただいてから最初の定例会に出席したときの写真です。本記事とは無関係です。)
本日、手段としての官民協働を進めていこうぜ!というようなイベントに参加させてもらいました。
35歳以下のイノベーターの人たち50人限定で日本全国から集まっていました。呼んでもらえて光栄でした!
(個人で、陸前高田市という領域でいえば、かなり協業を様々な形でできているのだなぁという実感を今日はもてました。(笑
今日面白かったのは、民間の人も行政サイドの人も半分ずつぐらいの参加だったのですが、(地方在住もいれば都会在住もおりました)
その中で行政サイドが官民協働を進められない構造は以下なのではないか?
という話が面白かったので共有します。
まず、国家公務員、特に霞ヶ関に入るような人たちは、優秀な人が多いです。世のため、社会のためになりたいと思って入る人が多いと。
(今回の会ではそれをざっくり「パブリックマインド」と呼んでいました)
でもそこで力を持つためには、出世しないといけない。
そこで、仕事をしていく中で重要なことは立身出世であると。
(ここで大事なのは自分がお金を儲けたいから、偉くなりたいから出世したいということではないということ。)
ここを出発的に話を始めて、どういうサイクルが描かれているのかを
ディスカッションしていたのですが、以下のような図になりそうです。
(指が写っていたり、 矢印ぐちゃぐちゃだったりでごめんなさいw)
①立身出世していくこと。
②そのためには、行政の出世のための評価指標はミスしないこと
③課題が複雑化、多様化し答えのない世の中になっている。(ループの外側からの影響で、現在の社会情勢)
④答えない課題が多くなっている(高度経済成長期などは課題が今よりはシンプルであった)のに、ミスできないから遅くなる、委託できない(その団体に貴重な税金を委託として出して、成果が出なかったらどうするんだ!という議論)。
⑤今までとあまり変えない政策を行う。無難な政策を行う
⑥結果、問題の解決は遅れる。もしくはほぼ意味のない政策を行う可能性がある。
⑦が、行政評価的にはミスではないので出世はできる。
という構造なのではという話をしました。(当然違うご意見もあると思います。あくまで1つの見方です。)
社会課題は解決されないのに出世できるというのが一番ポイントになりそうですよね。
そうであるならば、出世するための評価指標を変える必要があるのか?
で、評価指標を変えるためにどうするか?という中で、
「官民(学)のリボルビングドア」が活発になることが大事なのではないか?という話になりました。
つまり、行政の人が民間にキャリアチェンジし、民間の人が大学などにキャリアチェンジしたり行政にキャリアチェンジしたりということです。
もっと言えば、民間の中でもNPOなどもありますので、いろんなアクターを横断していくことが求められるのではないかと。
そうすれば単一の指標で評価することはできなくなるので、
指標が固定化せずにめちゃくちゃにならざるを得ない。
(創造的破壊が起きるのでは?)
ということでした。
そのためには、やはり専門的な力を伸ばし、どこの組織に所属しても活躍できる人材になることが大事だというふうになります。
実際経団連でも企業は終身雇用型(ある意味その人の人柄で判断)ではなく、ジョブ型採用(ある意味その人の能力で判断)に切り替えていこうという発信をしていますし、環境省などでもマネジメント層を公募したりしているようです。(この考え方は、「昔は一人で様々な分野で活躍していた。そこに『シンプルに生きるヒントがある』。」での話を補強するものでもあります。そしてその記事でも書いていますが、僕はこの立場にはやはり現段階で反対です。)
なんにせよ、少し話は脱線しましたが、大事なのは、
評価指標を変えていくことなのではないかと。
そこで改めて問われる、
「じゃぁ公共とは何か?」
「パブリックマインドとは何か?」
ということです。
その公益(公共の利益)の増進のために官民連携が行われるべきだと。
この多様化、複雑化した世の中で、公益(より多くの人が喜ぶこと、より少数の人を見捨てないこと)ってどういうものなのか?バッティングするものはないのか?など、その議論をしていくことが大事だと。
つまり、
「本当に社会のためにいいことはどうすればいいのか?」
「個人の幸福が増幅され、結果、社会のためにもなるとはどういうことなのか?」
など、ここら辺の超上位概念を対話していくことが大事なのだと
思いました。
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