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10年〜20年前の監査法人

東京都立川市の公認会計士・税理士の金森俊亮です。会計事務所を経営しています。
ありがたいことに、てりたまさんからご指名をいただきましたので、筆を取らせていただきました。
今回、ネタとしては、おそらく合格者のほとんどの方が入ることになるであろう監査法人に関してです。その中でも今から10年〜20年前くらいの監査法人はどうだったのかを記事にしたいと思います。


なぜこのネタにしたのか

私は、監査法人に入った時に世代によって考えていること等が違い、そこで軋轢が生まれているように感じていました。
それもそのはずで、時代時代で、経済環境が異なったり、求められるスキルが異なるからです。
これから入所するみなさんは「そんなこと知らねーよ」と思うかもしれませんが、そういう背景があったんだなと知っておくことは、先輩とコミュニケーションをとるうえで、非常に重要だと思っています。

今回の範囲は

なお、今回、話題にするのは、10年~20年前くらいの監査法人の環境です。2003年から2014年くらいを考えています。
私自身は、2009年の公認会計士試験合格で2010年〜2020年まで監査法人に勤務していました。
当時は、2003年合格の人がマネジャーに上がるかどうかくらいの時で、入社時のインチャージがここらへんの世代で、よく当時の昔話を聞いていました。
また、今年の会計士試験に合格して、入社してよくコミュニケーションをとるマネジャーからパートナーもこの年代かなと思います。

お断り

今回の記事は、完全に私の主観を基に書いています。
また、どの年に合格したので優秀等を書いているものではなく、あくまで時代背景を中心に書いていますので、その点はご了承いただけると幸いです。

2003年〜2004年合格

この2年は、就職氷河期だったそうです。10月に論文式試験の合格発表が行われてから、その足で面接が行われ、早いもの順で内定が出て、少しでも出遅れてしまうと、内定ががもらえないという時代だったそうです。また、内定をもらったら10日後くらいから働き始めていたようです。
入所したら、研修もなく、いきなり中間監査に投入され、かなり大変だったと聞いています。
また、この年代に会計士試験に合格した方は、2006年の会計士試験の制度改正の煽りを受け、会計士試験に合格しているにも関わらず、租税法と監査論の論文式試験を受ける必要がありました。(なお、2005年合格の方も受けています)
中々不遇の世代だったのかなと思います。

2005年合格

この年は就職氷河期も明け、合格者も増え始めた年だったようです。
私が入った時も、この年の合格者は同期の方も多く、仲が良かった印象です(私が所属していた事業部の印象なので、n=1ですが)
また、この年代の方達はJ-SOX導入時のコンサルも実施したりしていて、内部統制のヒアリング能力が高かった印象があります。

2006年合格

新試験になって初めての合格者です。
この年の合格者は3、4年目になることに、後述するように監査法人も人が余ったと言われるようになり、シニア昇格の際に差がつくようになります。
監査法人の環境が厳しくなっていくというのを肌身に感じている世代かと思います。
また、監査法人によりけりだとは思いますが、直近でパートナー昇格しているのもここら辺の年代になろうかと思います。

2007年~2008年合格

いわゆる大量合格世代と言われる人たちです。
私から見ると1つ、2つ上の方達ですが、人はかなり多かったです。
また、各法人のリストラも始まり、入社して4年くらいで対象となる人も出てくるような状況でした。(これは監査法人ごとにより、状況は大きく異なります)
シニアに昇格できない人も出てくる等、ある意味制度に振り回された世代であると思います。
J-SOX、四半期、その他会計基準の導入準備など、監査業務での変化が相次いだときでもありました。

2009年合格

私が合格した年です。
監査法人の採用も厳しく、合格者の4割くらいは監査法人に入所できなかったと思います。補習所では、職が決まっていない人も一定数いました。
監査法人の入所が2月からとなったのもここからです。
2007年あたりで増額された給与が元の水準に戻り(大体5万円くらい減った)、1つ上の先輩との給与格差も結構ありました。
反骨心が結構強い人が多かった気がします。

監査法人の内部を鑑みると、不景気になり、過去の有利だった精度がなくなっていった時代だったと思います。例えば、残業時の食事手当も私が入る直前くらいになくなったりしていたようです。
監査法人内部としても変わりゆく経済環境にどのように対応していこうか迷走していたのではないかなと思います。

2010年〜2011年合格

就職氷河期がさらに厳しくなった時代です。私は、この時期に法人のリクルートをやっていましたが、2010年は内定が出たのは応募者の3割程度、2011年は1割程度だったのかなと思います。本当に厳しい時代でした。
この時期に入社した方は、さらにハングリー精神が強かったと思います。

監査法人内部の雰囲気で言うと、コストカットがより求められていました。また、各法人、リストラも始まり職員の監査法人への不信感が蓄積されていったのではないかと思います。
自主的に辞めていく方も多かったように思います。

そのような中、2011年は、東日本大震災が発生し、さらに先行き不透明感がありました。
しかし、2011年の終盤にオリンパス事件が発生します。それを機に監査業務の見直しも始まり、作業をした分はしっかりチャージをしましょうという雰囲気が醸成されたのも記憶に残っています。

2012年合格~2014年合格

オリンパス事件の余波もあり、各法人、人手が足りなくなり、さらに政権も自民党に返り咲き、景気が上向きはじました。
監査法人のリクルートでも採用がだいぶ活発になり、入社人数が増えてきました。
私はリクルートから外れていたので、具体的にどうだったかは分かりませんが、内定率はかなり高かったのだと思います。
この頃から、監査法人の雰囲気も徐々に改善されていったと思います。

また、英語が求められるようになり、入社時から英語がある程度できるような人も増えた印象があります。
私が所属していたパブリックセクターはどちらかという英語をやりたくない人が入所する部門だったのに、入所時からTOEICが800点台あるような新人も散見される状況でした。

監査環境でみると、監査調書の電子化も活発化したのも、2012年ごろからと認識しています。ただし、監査調書の電子化は、進み方が大手法人でもかなりばらつきがあったのも事実です。
私の時は、紙のあずさと呼ばれるくらい、遅れていましたが、それを挽回するために、システムが整っていき始めたのがこれくらいの時でした。
変わりゆくシステムに慣れていくことが求められていました。

ここ10年くらいは安定期も先行き不透明

2012年以降は、採用に関しては安定期に入ったと思います。
監査法人は2000年前半を見てもわかるように、氷河期と誰でもウェルカム期を5年周期くらいで繰り返していたようです。(1990年代でも)
そのため、私も2010年代半ばには、採用の環境が変わるかなと思っていましたし、コロナも採用環境を大きく変えるものと認識していましたが、大きな変化はなかったかなと思います。

しかし、監査法人の就職状況は改善されていく一方、昇格に関してはハードルがどんどん上がっていっているのが、2010年代以降の特徴ではないかなと思っています。
英語能力が求められグローバルで立ち回ることができる等、2000年代と比較すると、はるかに厳しくなります。
各法人パートナーのリストラの話も入ってくるようになりました。

また、外部環境に目を向けると、独立だけでなく、事業会社への就職環境も整い始めたのが、ここ10年くらいかなと思っています。
公認会計士の環境が一気に良くなったのが印象的です。
こういった環境はしばらく続いていくのでしょう。
コロナ禍を契機に、状況は変わるのかなと思っていたのですが、変わりませんでした。

どういったトリガーで環境がガラッと変わっていくのか、それが少し気になります。

最後に

私も公認会計士試験に合格して15年、合格した時のことは昨日のように思い出されるのですが、監査法人を中心に環境は色々と変わっていったなと思っています。

監査法人で同僚とコミュニケーションをとるときは、その人の過ごした年代を知っていると、「この人はなんでこういう考え方なのだろう」というのが少しわかるのではないかと思います。

これから皆さんが飛び込む監査法人は、いろいろな人や考えがあります。
自身に合わない人も必ず出てきますが、その時に、歴史等も含めて、少し思いを馳せてみると、理解できたりするかと思います。
本当に性格が悪い人は少ないと思っていますので、ぜひ先輩から色々と話を聞いてみてください。
皆様の監査法人人生に幸あれ!

#公認会計士論文式試験合格おめでとう

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金森俊亮@公認会計士・税理士✖️ガジェット
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