読書メモ:致知令和5年11月号 人生を幸福に生きる知恵
おはようございます🌄
あるいはこんにちは、こんばんは。鉄舟です。
先月から、関西致知若獅子の会という」、人間学を学ぶ雑誌「致知」の若手の読書会に参加するようになりました。
また、ちゃんと説明をした記事も書きたいと思いますが、この会は毎月開催されており、その号で課題記事が設定されます。
課題記事の中から一記事を選び、1200文字以内の感想文を書きます。
書いた感想文を、会の中で発表して、良かった点をみんなからフィードバックしてもらう、ということをやります。
せっかくなんで、書いた感想文もここでアップしてしまおうと思います。
第151回 関西致知若獅子の会 感想文
記事「人生を幸福に生きる知恵」を読んで、印象に残った言葉は、イエス様は「人の子は仕えられるためにではなく仕えるために来た」という言葉です。
去年、ある本を読んでいて、日本人は仕え合うことを大切にしていた、だから仕事の「し」に「仕える」という漢字を使っていたことを知りました。昨今、人に仕えるというのは、言いなりになる、奴隷になる、などの負のイメージがあるように感じます。しかし、本記事で、仕え合うと書いて「仕合わせ」という言葉を何度も使用しているように、仕えることは、日本古来の幸福感であると再認識しました。また、自分を下として相手に尽くす、そんな「仕える」氣持ちを互いにし合おうという価値観が素敵だと思い、日本人であることを嬉しく感じました。
そして、遠い異国の聖人、イエス・キリストでさえも、人に仕えることを大切にしていたと知り、人に仕えることは、人間である以上共通の、幸福の条件とも受け取れると感じました。
本記事で、人間は傲慢だと人に仕えることはできない、謙虚になって初めて人に仕えられると説いています。僕は、お辞儀をする際、深く頭を下げることは簡単だと考えていますが、実際、仕事でお客様を見送る際などで、自分が思っているよりも頭を下げようとしない自分がいます。これは自分の中に傲慢な部分が強いことの証拠だと、氣づきました。仕事でうまくいかないことが多いのですが、それは傲慢な氣持ちが、根本原因ではないかと思い至りました。
傲慢、謙虚をそれぞれ辞書で調べて見ますと、傲慢はおごり高ぶって人を見下すこととあります。
接してくれてる人が謙虚であればあるほど、「自分は偉い」や「やってもらって当たり前」という氣持ちが知らないうちに大きくなっていたように感じます。そんな氣持ちがありつつも、意識的に謙虚な姿勢でいようとは思うのですが、内心は氣が大きくなっているので、不自然な振る舞いになっていました。まず、傲慢な自分を否定せず、自覚して受け入れる必要がありました。
今まで、人と接することが怖い部分がありました。しかし、「自分は傲慢である」とあえて自覚して接すると、その恐怖が和らぎました。自分が傲慢な人間であることが、周りの人に知られるのが怖かったんだと、初めて氣づくことができました。
アドラー心理学では、まず自己受容から始めないと人は変われないと説いています。自分のネガティブに感じている部分、人として誇らしく思いない部分を積極的に認識して受け入れる、まずそれが大事だと、この記事を読むことで感じることができました。
まだまだ変わっていくには時間はかかりそうですが、誇れる自分になっていくために、眼の前の一歩を丁寧に歩んでいきたいと思います。