メモ:報恩講 (浄土真宗の風習)
こんにちは、こんばんは。鉄舟です。
今日、仕事の休憩時間に、農家の奥さんから「報恩講」なる風習を聞きました。
奥さん「今週の土曜に『てらやく』がうちに回ってきたから、準備も含めて金と土は休みね」
鉄「『てらやく』ってなんですか?」
奥さん「『てらやく』って知らん?
うちが田舎やからかな。『報恩講』っていって、お坊さんが地域に訪れて住民に説法しはるんやけど、その世話役をすんねん。」
鉄「へぇ〜。そんなんあるんですね。」
...
そんなやりとりがありまして、昔ながらの文化や伝統を重要視してる僕は、家に帰ってからみっちり(?) 調べ、アウトプットのために記事に書こうと思いました。
なので今回は、報恩講なるものについて調べたことのメモという形にしようと思います。
報恩講とは、どうやら親鸞上人の命日 (11月28日) の前後につとめる法要のことで、浄土真宗の信仰者にとっては一年間で最も大切な佛(仏)事らしいです。
親鸞上人の命日に佛法を聴く集い「講」を開いて、自らの信仰を確かめ学び直そうという人たちが集まったことが始まりだそうです。
また、報恩講の「恩」は、衆生を救う佛さまと、念仏の教えをもたしてくれた先人の努力やご縁の恩をさすそうです。
確かに奥さんも、家は浄土真宗と言っていました。
農家のご夫妻は、五條市の北曽木という、すごく交通のアクセスが悪い山奥にご実家があります。
そこで報恩講が行われるそうなので、地域一帯が浄土真宗ということなんでしょうかね。
ちなみに報恩講で説法するお坊さんは、京都からわざわざ五條市まで派遣されて来るそうです。
お坊さんのお勤めも大変ですね。
楽な職業は、たとえ宗教であってもありませんね。
今はほぼ形だけが風習が残ってる状態なのかもしれませんが、この報恩講の風習が、京都から離れた奈良県五條市の山奥にもあるということは、昔はそれほどに佛教が広く信仰されてたんですね。
佛教の教えが、住民にとってありがたいものだった証拠ですよね。
宗教と聞くと、カルトみたいな、目に見えない世界のお話をして、お金をもらうみたいなイメージが、日本では強いように思います。
そのイメージから、このような風習も軽視されがちなのかなと、勝手に思ってます。
視点を変えれば、報恩講のような宗教行事は、地域の交流の場であったり、人としてのあり方を学ぶいい機会になってたのではないか。だから地域に定着したのではないか。調べてみて、そんなことを思いました。
日本人は昔から、人としてどうあるべきかに高い関心のある民族だと思います。
だから、佛教は神道とは別の形で表現されてたから受け入れられ、儒教は明確に人のあり方が表現されてたから受け入れられ、神道、佛教、儒教が融合された文化が日本に定着した、僕はそう考えています。
田舎の風習というのは、日本の昔ながらの心を読み解く手がかりのように、強く思いました。
報恩講について調べてみたことと、感じたことを書いてきました。
一つの風習が地域に定着した経緯を調べてみても面白いかもしれませんね。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
参考WEBサイト
お寺から「報恩講」という行事の案内が届きました。報恩講とはどんな行事ですか? | 真宗大谷派(東本願寺)真宗会館
https://shinshu-kaikan.jp/faqs/1931.html