藤井聡太

半生を自己分析も兼ねて(高校生時代)

最近妙にTwitterの投稿が多くなってる晒名です。
実は、恥ずかしいからあんまり大きな声では言えないのですが、インフルエンサー目指しています。はい。

というのも、今後自社サービスをやっていく上で拡散力、影響力あったほうが絶対良いし、Twitter(あとfacebookも)について調べてみると結構奥が深くて。常に頭使って試行錯誤を繰り返して結果を求める、難しいけどゲームみたいで楽しいです。

ま、気軽にセンスのない発信を続けていくので、温かい目で見てあげてください。良いコンテンツ・投稿があったら素直に拡散してもらえると泣いて喜びます。



前置きが長くなりましたが、今回は「半生を自己分析も兼ねて」シリーズ第3弾、高校生時代についてです。結構深いところまで書いてみたので、よっぽど暇な人は読んでみてください。色々懐かしいねぇ。






高校生時代


高校生になると、結構自分の軸が固まってきます。
トピックとしては、「ハンドボール部での居場所の確立」「文化祭」「自分の好きなもの」の3つです。



「ハンドボール部での居場所の確立」

前回の投稿で書いたのですが、中学三年間ハンドボール部を続けてはいたものの、なかなか芽が出ず楽しさも見出せず、極論もう部活をやめようかとも思っていました。
しかし、そんな自分にも3年越しに転機が訪れます。そういう意味では、続けることって大切だなとも思ったり。


自分のハンドボール人生での転機は、高校1年生の春に、高校3年生の引退試合に出場したことです。

中高一貫校なので、中学生と高校生が一緒になって練習していました。学校の中では人数の多い部活でしたが、はたから見たら学年で1チームも作れないくらいの人数しかいない部活だったので、後輩の自分たちもかなりの確率で試合に出ることができました。

自分はその時ディフェンスのポジションで出場をしたのですが、少し、いつもよりほんの少しうまいことプレーができたのです。

自分の尽力もあってか、その試合は勝つことができ、総合的には県大会出場直前で負けてしまいましたが、自分の中ではこの瞬間「あ、ハンドボール楽しい」と思った瞬間でした。他にも忘れられない試合、プレーはたくさんありますが、特にこの試合は印象的です。


その後から自分は攻守共に自分の専門を持って練習し続け、センスがないながらもそれなりにチームに貢献できるようになりました。高校3年間は、頭の中が10割近くハンドボールのことを考えていました。毎朝鏡を見ながらフォームの確認、体づくり、動画で勉強する、なにを取っても楽しかったです。自分の成長が実感できたから、楽しかったんだと思います。


高二の冬、いろんなご縁で実施が実現した台湾遠征なんかも経験しました。
台湾の高校生、大学生と言葉が全く伝わらない(英語も微妙)中ボディーランゲージで色々教わってきました。日本とはまた違うハンドボールと、初めて行く海外での新鮮な経験に出会うことができました。あれは自分の人生の中でもだいぶ貴重な経験だったなぁ


ただそんな時、高校3年生の時にある出来事がありました。


この頃怪我が重なったり、少しスランプだったりして、高校最後の大会でスタメン落ちをしてしまいます。

めちゃくちゃショックでした。後輩が自分のポジションを担当することになって、それも悔しいし、何よりスタメンがずっと一緒にプレーをして来た同期のみんなだったので、そんなみんなから「お前はいらない」と言われたように感じました。

ただ、自分もこの状況自体は勝負の世界なので当然だとも思っていて、いろんな感情が渦巻きました。このタイミングで部活をやめて受験に励むことも考えました。



しかし、この時チームを見て思ったのは「このままじゃ勝てない」ということ。スタメンのメンバーは国体にも選ばれるようなメンバーがいたり、とても高校生としてはレベルが高かったです。しかし、いわゆる2軍以下のメンバーが彼らに遠く及ばなくて、どうしても練習相手にはなれていませんでした。それを見て、「自分がこいつらを強くしたら、(スタメンの)同期のみんなももっと強くなれるのでは」と気がつき、それから後輩の育成、というほどすごいことはしていませんが、後輩と一緒にどうしたらスタメンに勝てるかをずっと試行錯誤しました。

そのようなマインドセットになってからは、なんとか自分の苦しい状況を抜け出し、たまにスタメンにも勝てるようになって、ついにはスタメンにも交代しながら参加することができるようになり、引退試合でも自分の居場所を持ちながらチーム一緒に勝利を目指すことができました。

後輩の育成、スタメンへの客観的意見を述べる役、チームの中心から少しはなれたところからみんなを叱咤激励する役、こんなところが自分の最後の役割、居場所でした。最終的に県4位まで行くことができ、本来の目標には及ばなかったものの、この6年間、ハンドボールで得た経験と仲間は本当に自分の宝物になりました。


今でも、夢でハンドボールしてたり、現役の時の自分の活躍した瞬間などが頭に浮かびます。相手を3人抜きして決めたシュートなんかも良く思い出します。

あ、書き忘れていましたがこの頃坊主でした。

バカ面白いですよね笑
この時、今より体重が15kgくらい重たくて、ゴリマッチョでした。胸筋とか自信ありました笑 握力両手50kgくらいあった気がする。


ちなみに、六年間ハンドボールを続けて学んだこと、思ったことは

・最初はダメダメでも、続けてると自分の武器になる
・チームってすごい(ハンドボールを通じて経営学、チームづくりに興味を持つようになりました。高校生はひたすらドラッガー漬けでした。)
・自分はかなりの負けず嫌いであること

・エースへの憧れと嫉妬:さっきもちらっと出てきたけど、同期に小学生時代は野球のユースで活躍し、中学生でハンドボール始めてみたら国体行っちゃうような奴がウチのエースでした。別でいたハンドボール馬鹿のキャプテンも相当うまかったと思うけど。
彼、ほんとイチローみたいな奴で。もちろん尋常じゃない努力と、成長にこだわっていたからこそあんな選手になったのだけれど、高校生の時の自分はそいつに憧れ、そして嫉妬していました。
ここでいう話でもないかもしれないけど、やっぱり上手が故にできない自分に強く当たってくれる時もありました。優しさだとわかってはいても、自分にはない才能が眩しくて、ひねくれていた自分もいました。
それでも、やっぱりこいつがいたから結果にこだわれたし、肩を並べてプレーができるようになろうと努力できたし、何より自分の中で「オレもエースになりたい」という思いが強くなりました。
たまたま一人をピックアップして書いちゃったけど、密かに今でも彼を尊敬しつつ、ハンドボールをしていた時の彼のようなエースに、何かしらの形で今後なれたらと思っている次第であります。愛が深い笑




こんな感じですかね。出会いに感謝です。



「文化祭」

自分が通っていた名大附(名古屋大学教育学部附属)の高校の文化祭は、教室企画といって各クラスの教室を使っておばけ屋敷などの企画をするというものでした。

3年間ずっと、教室企画の取りまとめ役をやって、好き勝手やってました。
1年生はバイオハザードみたいなやつ、2年生は妖怪ウォッチに乗っかった謎解き、3年生はお客さんがアイドルになってステージで踊れる企画、みたいな感じでやってました。振り返ってみても、結構面白い内容だったと思っています。装飾とかこだわった。

この3つをやったことで、今の自分の感覚というか、「企画することは楽しい」みたいな感覚ができたのではと思っています。学年関係なく、学校内で賞を総取りできたのもいい思い出です。




「自分の好きなもの」

中学生の時に感じた「オンリーワンになりたい」という感情(参考:https://note.mu/shunsarashina9/n/n4f444e97bf01)から、高校生で好きになったものもかなり癖があったと思います。




その中の代表例は「東京事変(椎名林檎)」。

きっかけは覚えていませんが、その当時の自分からしたらあのハイカラ感がたまらなくて。「温故知新とはこのことか!」という衝撃に襲われました。

椎名林檎の楽曲は東京の街並み、人々の姿を描いているのですが、自分は楽曲を聴いて自分なりの東京をイメージしていました笑。結構本気で。上京したくなったきっかけのひとつが椎名林檎です。

MVも結構凝ってるものが多くて、ライブ映像と併せてずっと観ていました。2020年オリンピックで復活することを切に願っています。



もう一つは、「水曜日のカンパネラ(コムアイ)」です。

これは当時ヤフオクのCMを水曜日のカンパネラが担当していて、それを見た時に「これはすごい」と思いました笑。
その時流行り出していたフリースタイルみたいな歌詞と、独特の声とビジュアルがドツボにハマりました。


あと、ボーカルのコムアイさんの生き様というか、考え方がすごい好きで。

「誰がなんと言おうが自分の感性は無視できない」
「わからないことはやってみて判断しよう」
「面白いこと至上主義」
「こだわらないなんてありえない」

とかとか。雑誌のインタビューとかを読んで感動していたのが高校生時代でした。「カッケェこんな人になりてぇ」みたいな笑


あ、ちゃんとコムアイさんのビジュアルも好きです笑







ハンドボール部を引退すると、自分も受験生になりました。
受験生のときは、ひたすら自分の将来のことを考えていました。勉強よりも自分と向き合うことの方が楽しかったです。

その時考えていたのは、
・とりあえず愛知県を出て刺激を受けたい
・ハンドボールを通じて興味を持った経営学を学びたい
・良くわからんが、「企画」「アイデア」で食っていけるような人になりたい
って感じ。

なので、志望校は関東と関西、経営学部か商学部でしたね。
案外コツコツやるのは好きなので、勉強自体は苦痛ではなかったけれど、周りを気にしてメンタルやられたり、結果でなくてしんどくなったりしてた覚えがあります。

受験期はそんなもんかなぁ。「早く大学生になって、外に出て、面白いことしたい!」っていう思いが強すぎてあまり記憶がないです笑



そんなこんなで進学先が明治大学商学部に決まりました。
結果に関しては、「まぁ、十分っす。良く頑張った。」って感じ笑
上京ができて、かつ自分の決めていた最低ライン以上の学校に進学できたのだから。



高校生時代をまとめると、
・ハンドボールによってチーム、経営学に興味を持つ
・サブカルチャーや文化祭に触れることで企画、演出に興味を持つ
・コムアイさんとの出会いによって自分のこだわりも強くなる
って感じです。
今の自分をつくり、支えているのはこの時の経験と想いではないでしょうか。


そんな感じの晒名駿が、次回ついに東京に出てきます。
大学生の間でも色々変わったこと、感じたことがたくさんあるので、「半生を自己分析も兼ねて」シリーズの最終章としてまたつらつらと書いていきます。
友達との待ち合わせの時、TwitterのTLも全部見て何も見るものがない!暇だ!って時とかに読んでもらえると幸いです。

では、また今度。

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