咳をしてもひとり
「咳をしても一人」
自由律俳句を代表する俳人の一人、尾崎放哉の代表句の一つ。
この句は放哉の晩年、小豆島に小さな庵を構えていた頃に記したものだそうで。小さな庵の中で咳をするも、その音が響くだけ。咳き込む放哉に声を掛けてくれる人は誰もいない。そんな、死を前にした放哉の孤独がありありと感じ取れる一句。
どうしてこの句を取り上げたかというと、最近気づいたことがあって。
これまで半生、自分はたくさんの人に囲まれて生きてきた。
幼稚園生の時は親や先生、小学生の時は友達、中学生・高校生の時は部活の仲間、大学生の時は所属していた団体の仲間が、何気なく、ごく当たり前のように周りにいました。
ですが、これまで所属をしていたものに別れを告げ、今ではこの身体一つで世の中と向き合いながら事業を考えている。
考え事は一人でしないほうがいい。自分のこのちっぽけな頭ではそうそう切れ味のあるアイデアは思いつかない。
そんな時、ふと気がつくのです。
「今は一人なのか」と。
これまで何気なくいた仲間や友達が、すぐ会える距離にいない。
逆にいうと、これまでのそんな当たり前の環境って、実はすごい貴重で、儚くて、当たり前ではなかったのではないか。
今のこの環境を選んだのは自分で、その選択に関しては何ら後悔はしていないのだが、これまでの自分の周りにいた人に感謝の気持ちを持ちつつ、今後自分が出会うであろう仲間とは、この出会いが当たり前ではないことを心に留めつつ、誠実に丁寧に時間を過ごしていきたいと思う。
ぜひ、皆さんも周りの仲間や友達が、当たり前にいるのではなく特別な環境であることを意識してみてはいかがでしょうか。そう考えると、少し人に優しくなれて、相手からも優しい言葉をかけてもらえることが増えるかもしれません。
そんなことをふと思った母の日でした。
お母さん、いつもありがとう。