だから、がんばります。
銀行で働いていた時間を、コピーライターになってからの時間が超えた。
と言っても、もう1年ぐらいはとっくに超えているのだけど、
ふと振り返ったら超えていた。
広告の仕事がしたくて、したくて、たまらなかったあのとき。それでもなれない、届かないばっかりだった時間があった。
そんな状態で入ってきたものだから、毎日が本当にたのしい。書きたい、考えたい。好きなことをしているだけで、お金はもらえる。世の中に出ることだってある。何もかも憧れていた世界だ。
だけど、ひとりである程度の仕事を任せてもらえるようになって気づいた。
「あれ?たのしいけど、うれしくはないな…」って。
考えることは楽しい。コピーを書くのも楽しい。いいものができたら、これを案出しで見せるんだ!と赤丸をつけてみたりする。だけど、嬉しい瞬間って、ほとんどない。
銀行で営業をしていたとき、自分がうれしいと思えた瞬間ってどんな時だったかな。
そんなことを考えて、昔書いてた日記を読み返してみたら、どんどんお客さんの顔が浮かんできた。
定期預金をはじめてしてくださったお客さん。お子さんへの贈与をお手伝いしたお母さん。投資信託がマイナスになっていても、ニコニコしながら昼食を用意してくれた人。施設に入っても、会いに来てほしいと言ってくれたおじいさん。足元に寄ってきた犬。アレルギーが出た猫。その子たちのために、ペット保険に入りたいと相談してくれた飼い主の人。悲しいけど、もう今は、この世にいない人だっている。
あの頃、ドアがある家、すべてがお客さんだった。チラシだけ持ってピンポンを押す。開けてもらう。いなくても名刺を入れる。ようやく会ってくれる。雑談をする。玄関で聞いてもらうだけだったのが、いつのまにかお家に入れてもらってコーヒーを飲んでいる。前任者がつながったことのない人と、自分が関係を作っていく。
そんな嬉しさをいっぱいに浴びて営業をしていた。いや、その嬉しさがあったから続けられた。ノルマを達成するとか、上司に褒められるとか、そんなことはどうでもよかった。
表札を眺めるだけで、通帳の出入りを見るだけで、
お客さんの顔が浮かんでたときのように。
自分の関わった広告やコピーを見て、関われた人の顔が浮かぶ、
そんなものを作らなきゃダメなんだきっと。
そうやって作ってきたものだけが、自分を肯定してくれるんだと。
胸をはらせてくれるんだと思う。
ここのところ、本当にダメだった。
このまま、なぁなぁで進んでいくのかも。
というか自分、そもそもコピー下手くそだし。なんてことを考えたりしていた。
そのせいで、いろんなものを見落としていた気がする。
あぁ、なんであれしなかったんだろう。こう言えばよかった。
そんなことがいっぱいある。
たぶん、銀行で働いていた時間が今の自分をつくってる。
それを持って走り続けることが、あのとき自分を頼ってくれた人に対する、
最大の返せるものなんだと思う。
だから、がんばります。
そんなことを聞かされましても、と思うかもしれませんが。
悔しくて泣いたり、嬉しくて泣いたり。
そんな感じでこれからもやっていきます。
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