音の話
外を歩く時、イヤホンをすることが多い。
好きな音楽だったり、好きなラジオ番組を聴いている。
そのとき、ぼくの目は世の中をボーッと見つめて、次の角を曲がろうだとか、あの人変わったシャツを着ているなとか、そんなことを考えている。ただただ、音だけを聴いていることはあまりない。
ーー
今から6年ほど前、祖母が認知症と診断された。銀行の研修で習ったとおり、お医者さんは治ることはないと言った。ただ、進行を止める方法がある。それは、会話をすること。人と話すこと、たくさん色んなことを考えることで、その進行を和らげることができると。
だから、週に1度は祖父母の家へ行き、そこから会社に通う日々を続けた。祖母の頭の中から、自分という存在が消えていくのはかなり厳しい。今日は楽しく話をしていても、明日には「あんた誰?」と言われるかもしれない。だからと言って、ぼくにできることはそんなになく、一緒にボーッとテレビを眺めて、色んな話をしていた。
祖父はできる限り、在宅介護を望んだ。家の玄関に、リースで借りたエレベーターを付けた。ふつうに買ったら100万はする代物も、リースなら月1万円でいけると、鬼の首を取ったように自慢していたのを覚えている。それがリースというやつじゃないか。
ただ、あのとき祖父は、100ヶ月も使うことはないだろうと薄々感じていたのだと思う。
そして、できる限りに限界が来る。世の中はコロナ真っ只中。祖母を二人で施設へ送り届けた。やさしそうな施設の人が言う。
「コロナが落ち着くまでは、お会いするのが難しいかと思います」
そこからぼくたちは2年以上、祖母には会えなかった。ときどき送られてくる写真を眺めては、「ばあちゃん、ちょっと体重戻ったんちゃうかな?」と、会えない寂しさを埋めていた。
ーー
とある平日の夜。
仕事から帰ってきて、うたた寝していたところ、母からの電話で飛び起きた。急いで着替えて、最寄り駅へ向かう。
祖母が危篤状態にあると。
病院に向かうまでの時間、何も聴けない。いつもなら、好きな音楽や、好きなラジオを聴いてる車両でも、なにも耳に入らない。聴こえてくるのは、まわりの話し声や、次の駅を告げるアナウンスの声。
病室に駆け込むと、祖母がいた。目は、ほとんど開いていない。腕は、写真で見ていたよりもずっと細い。隣にいる祖父も、なんとも言えない表情をしている。
いつもなのだが、こんなとき、何を言ったらいいのかわからない。「ばぁちゃん、来たで〜!〇〇やで!」みたいなことを言えたら良いのだが、なんかドラマのセリフを言ってるようで避けてしまう。
黙って、祖母の手をにぎると、まだ温かくてホッとする。生きようとしている。そして、ホッとすると、あることに気づく。
ラジオが流れているじゃないか。
祖母の枕元にあるラジオからは、なぜか、広島カープ対横浜ベイスターズの野球中継が流れていた。祖母は別に、どちらかのファンでもないし、プロ野球のファンでもない。それなのになぜ、広島対横浜なのだろうか。というかここ尼崎じゃん。どうやって広島の放送局の電波を拾ってんだよ。せめて阪神戦だろうに。なんてことを考えてしまう。
どうやら、目は開けられないけど音は聴こえているから、ラジオを流しているそうだ。人の会話で、心が寂しくないように。
この一大事に、兵庫県尼崎市の病室で、野球ファンでもない祖母が、広島カープ対横浜ベイスターズを聴いている。たぶん、祖母が知ってる選手は誰一人いない。祖母の知らないピッチャーが、祖母の知らないバッターにボールを投げて、祖母の知らない実況が、祖母の知らない解説者に語りかける。
その何とも言えない、微妙な空気に笑ってしまった。
こんな時に笑うなと怒られそうだが、笑ってしまった。
「今日はもうおかえりください」
先生が部屋にやってきて、家にかえされた。どうやら危篤状態ではあるものの、いつその時が来るかは分からないらしい。コロナの関係で、病室にいれる時間も15分だけだった。
病院を出る。radikoのプレミアム機能を使って、広島の放送局を選ぶ。さっき病室で流れていた、広島カープ対横浜ベイスターズ戦が流れてくる。ぼくの声が祖母に届かなくても、ぼくの名前や顔を忘れていたとしても、あの日、ぼくたちはおなじ音だけを聴いていた。おなじ人の会話を聴いていた。これからカープの試合を聴くたびに、あの日の病室を思い出すことになるだろう。
祖母がくれた、最後の思い出に、そんな音の話がある。
ちなみにぼくはカープファンなので、よく、試合中継を聴いている。さらにちなみに、その日のカープは負けました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?