小さなヘタな恋のうた
週末、とある川沿いを散歩していた。好きなシャツを着て、メルカリで買ったトラックジャケットに袖を通して、春の道を歩く。
晴れの日曜ということもあり、たくさんの人がいた。マクドナルドを食べながら花見をする女子高生。春爛漫のカップル。ランニングをする初老の男性。犬の散歩をする人。人に散歩させてあげる犬。子どもとキャッチボールをする親。親にキャッチボールをしてあげる子ども。
春というには少し暑くて、せっかく買った上着を片手に歩く。
川沿いというのは面白いもので、みんなが特に目的もないのに同じ方に向かって歩く。行きつけばそれは海につながっているのだが、そこまでは歩かない。途中で折り返したり、河川敷を登ってみんなどこかに消えていく。でも、それまではなんか、いちばんのんきなマラソン大会といった感じで歩いている。
と、ちょっと先でその人の列が崩れる。
何かを避けるようにみんなふくれて歩いていく。すこし避けるぐらいなら、藪から出てきたアシナガバチや、道に落ちている犬のフンだったりするのだがどうやら違う。野太い叫び声が聞こえる。そしてそれは、かろうじてリズムに乗っている。歌だ。
「ただ抱きしめる…ただ抱きしめる…うぅ…ほーらっ!」
モンパチだ。MONGOL800の「小さな恋のうた」だ。
近づくと、一人の男性が大粒の汗を流しながら熱唱していた。周りなんて見えていない。腹の底から声を出して、小さな恋のうたを晴れ渡った春の空にお届けしていた。
ただ、上手くはない。モンパチというよりこれだとなんか、嘘っぱちだ。(上手くいえた…!)
声が全然出ていない。汗だくなところから見て、この人はずっと歌っていたと思われる。「ほーらー!ほーらー!ほーらーあーあーあーああーああー!」のところなんか、もう声が出ていない。枯れきっている。上手くはない。横で歌ってあげたいぐらい上手くない。
足元を見てみると、そこには500mlのスポーツドリンクが一本。ギターケースやハットのようなものがないところからみると、彼は路上ミュージシャンではない。誰かに聞いてほしくて歌ってるのじゃなく、見つけてもらいたいと思って歌ってるのじゃなく、ただ、自分が歌いたくて歌ってる。
その姿が、なんかとてつもなく格好よかった。どうしても歌いたい何かがあるんだと。この春の日に。きっと歌わずにはいられない何かが、彼の中にあったんだ。
その姿を横目に、ぼくはもうすこし海に近づこうと川沿いを歩いていった。
もちろん、イヤホンを装着して、本家のモンパチを聴いたのは言うまでもないだろう。
「小さな恋のうた」がぼくたち平成生まれの人間にとって特別な曲になったのは、やはりドラマの影響が大きい。
そのドラマはプロポーズ大作戦。
山下智久の演じる主人公が、もうすぐ結婚してしまう幼馴染の長澤まさみへの想いを断ち切れず、タイムスリップを繰り返す話。求めよさらば与えられん、ハレルヤ〜チャ〜ンス!と叫んで、うわ〜ってなって、青春時代にもどっていくあのドラマ。
その物語の要所要所で流れる曲が「小さな恋のうた」だった。不器用な主人公が、せっかく戻った世界でまた失敗をしてしまう。なんとか取り戻そうと走り出す。もう後悔をしたくないと。そんなときに曲が流れる。見ているぼくたちは「走れケンゾー!!!」と心の底から念じたものだ。
だから、あの時、あのドラマを見ていたぼくたち世代にとって「小さな恋のうた」は特別な一曲。叶わない恋。戻らない時間。引きずっている後悔。そのすべてが詰まった歌。
そんな曲を、汗だくになって歌い続けるあの男性。どんな気持ちで、いまあそこに立ったのだろう。どんな眠れない夜を過ごしたのだろう。走り出したのだろう。川沿いを歩きながら、山Pとは似ても似つかない男性の姿を、あの頃のドラマの風景に重ねていた。
リピートにしていた、その曲が何回まわったかわからない。ふと、周りを見渡すと、あれだけいた人が減っていた。すれ違う人が増えて、同じ方に向かう人はほとんどいない。
すこし先をみると、道が途切れている。そうか。みんなちょうどいい折り返し地点があって、帰っていたんだ。そう思って、ぼくもクイっとターンをした。そして、さっききた道を今度は登る。
目標はもちろん決まってる。モンゴル嘘っぱちがいた場所だ。彼がまだ歌っているのなら、足を止めて聴いてやろう。誰に届けてるわけでもない、小さなヘタな恋の歌をこの耳に焼き付けてやろう。そして、心の中で拍手をしよう。心の中で、背中をパンと叩いて「ありがとう!」と伝えよう。
足取りがすこしはやくなった気がした。挿入歌はもちろん「小さな恋のうた」。
そして、見つけた。同じ場所に彼はいた。イヤホンを外す。
ただ声は聞こえない。小さな背中が、どんどん近くなる。
大きくなっていく。そしてすれ違う。耳を澄ます。
「夢ならば覚めないで…夢ならば覚めないで…」
今にも消え入りそうな声で彼は歌っていた。シャツは汗で透けている。足元の水はもう空っぽ。声なんてもう出ていやしない。それでも歌っている。
彼に何があったのかはわからない。何が彼をそこまで突き動かしたのか知る由もない。
ただ、その日は本当にいい日だと思えた。それはきっと、よく晴れたからであり、いい風が吹いたからであり、彼の歌に出会えたから。だから、ただあなたにだけ届いてほしい。
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