ドロドロの化粧

 深夜3時半、不快感で目が覚めた。部屋には2割引きだったチキンとアルコールの混ざり合った空気が漂い、化粧はドロドロに崩れ、頭が重かった。まだ明日も仕事があるのに、どうしようもない夜を過ごしてしまった。せめて今からでもこの不快を取り除こうと、食卓を片付け、空気を入れ替え、歯を磨く。あとは化粧を落とすだけとシャワー室へ向かおうとしたとき、彼女からの電話が鳴った。

 最近、彼女からの電話の時間が夜から朝へとずれ込んでいた。私も比較的夜に活動している人間ではあるが、ここ最近の電話には少し疲れていた。彼女の仕事は夕方からであるが、私は朝から仕事が始まる。また、彼女は不眠症であったが、私はあくまで寝る時間が少し遅いだけであって、眠れない訳ではなかった。

 「もしもし、この時間に電話に出てくれる人なんてあなたしかいないから嬉しいわ」なんて、彼女は私の気持ちを知らないであっけらかんと言った。電話に出なければいいだけなのだが、さすがに時間も時間なので心配になって懲りずに今日も出てしまった。そして、お決まりのフレーズである「この間彼とこういうことがあって嬉しいから、共有しようと思って」と始まる彼女の電話。ほら、今日も何もなかったじゃない。教えてよ、と言いながらタオルを置き、ベットに腰かけた。

 「最近彼はね、私にサプライズで色々くれるの。それにね、仕事の前に、喫茶店で一緒に勉強しているの、素敵でしょ」彼女はそれはそれは幸せそうに、その情景を語る。それは嬉しいね、幸せだね、と彼女に共感した。「それに比べて夫はね、私にこんなひどいことをしてくるの」それはとてもひどいことだね、悲しいね、心に深い影をつくりながら相槌を打っていった。

 彼女は夫がいながら、違う人を愛し、また愛されていた。夫と別れると言いながらも、夫の家とひとりではない生活を手放すことを決してしなかった。結婚したとき、周りから結婚しろと言われなくなったことが一番良かったと口にしていた彼女は、世間体がよい生活に加え、真に愛する人までも手に入れていた。それは、誰かに愛されず、このままずっとひとりかもしれないという恐怖に怯えながら生活をして、他人からは、恋人はいないのか、早く結婚したほうがいいよとしか言われることがないわたしにとって、いずれ崩れ消え去るお城の生活だったとしても、うらやましかった。だから、彼女にひどく嫉妬していた。

 「あなたは恋に恋しているよね」いいじゃない、恋人も夫もいないのだから。好きな人さえもいない生活はただ寂しくむなしいものなのよ。「男はね、相手の好きそうな女の子を演じて落とすのよ。あなたにはわからない?結婚している友人は共感してくれたけれど」誰にも媚びないところが私の素敵なところと言っていたのに、男の前ではそれを捨てろというのね。決して言わない、暗い感情だけが心の奥に押し込まれ、とてもひどい顔でただ愛想笑いをしていた。

 彼女のあくびが電話の終わりのサインだった。「いつも話を聞いてくれてありがとう、おやすみなさい」

 電話を切り、カーテンを開けた。空はすでに薄ら明るくなっていて、鳥の鳴き声が聞こえた。ようやく浴びれたシャワーでドロドロの化粧を落とした。すべてが清潔になったのに、こころにはどす黒い感情がこびりついたままであった。ひどく不快であった。

 あれからも、彼女からの電話は時々あるけれど、電話に出れない私がいる。

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