さて、Radio GaGa の作者の来日
1994年、ということはクイーンとして初のプロモ来日からちょうど10年だった、ということに、書いていると気付くのですが(笑)、ロジャー・テイラー来日!!!ソロ・アルバム『Happiness ?』リリースに合わせてのツアーだったのだが、特にここ日本ではYOSHIKI とのコラボ・シングル「Foreign Sand」もあり、また、ソロの来日でありながらUNESCOが呼び掛けて実現した奈良の東大寺での「GME'94 ~ AONIYOSHI」にも出演、YOSHIKIのゲスト出演を受けてライヴでこの曲を披露している。
この曲聴くのは久々ですが、いいですね、あらためて。スケールでかいし。元々ロスで出会い、ロンドンでも交流を続けた二人が「差別のない世界を」という意図で作ったといわれる曲、歌詞が何といっても「今」に響きます。ごく一部だけ引用します、正しく伝えるために
why do we fear what we don't understand
can't we reach out our hands
to try just say hello,
try to plant a seed fulfill the need
to make it grow just say hello
さて、そんなロジャーですが、まあいつでも「お山の大将」っぽいところはあって、それが魅力でもあるわけですが、この来日はましてや自分のソロ・プロジェクト。”リーダー”として日本到着日のプロダクション・ミーティング(こちらは招聘したプロモーターさんが公演内容、機材など事前打ち合わせ通りで間違いないか?などを確認する肝となるミーティング)~プロモーション・ミーティング(この来日ではYOSHIKIさんとの「ミュージック・ステーション」テレビ出演もあったのでおそらく入念にやったはず…本マネージャーのジム・ビーチ氏ももちろん来日、同席です)を経てホテル地下のバーへ。バンドのメンバーと我々レコード会社で、というリラックスした場で、ロジャー大将「ここにいるのがEMIの担当でShunというんだ。前に来日した時も世話になったんで、みんなも何かあったらShunに相談してくれ」と、まあアーティスト担当としては涙もんのコメントをしてくれ(まあ言ってみりゃあ「こき使うならこいつ」ではあるんだけど)た、というのがひっぱりすぎた「おとこ気」ネタでございました・・・大したことなくてすみません(笑)。で、おそらくこの日も夜の六本木あたりを限りなく徘徊したはず・・・
普通の流れだとこれでミュージック・ステーションで大変だったこととかを書くのだが、実は自分にとっては奈良で「この人たち」に会うこと(そしてその全員のサインをゲットすること!)が最大の目標だったので、東大寺の楽屋で物陰に佇んでいたボブ・ディランのさりげなさとか、楽屋のテントで意外と真面目にモニター見ていたライ・クーダーとか、ネタは豊富なはずなんですが、それはもう少し詳細思い出したらそのうち、ということで。
さて、「この人たち」の、はこの人たち↓
日本ではチーフタンズ、とカナ表記されていますが、なんとなく僕の中では「チーフテンズ」と刷り込まれているので(実際はおそらく「タ」と「チ」の中間ぐらいの発音、てことにしておきましょう)チーフテンズ、この時以外にも来日はほぼすべて行っていて(全公演、とかではないですが)、この時もまだメンバー全員が揃っていた時代。そのサイン、現在捜索中ですが(笑)、出てきたらこちらにアップします。アイリッシュ、ケルト好きにはたまらない、ってやつですが、知らない人にはなんのこっちゃ、でした。
ではまた、次回!
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