期末試験当日に「へーえ、それが教科書?」って、大物か?
テニスサークル(実は飲みサークル)の想い出話中に少し触れましたが、同じ年に大学に入った中に、現役生よりさらに1歳若い人(♂)がいました。
千葉大で国内初めて高校からの飛び入学が認められる(1998年)よりもはるか以前のことです。
大学入学の要件は、高校卒業か大学入学資格検定合格のいずれか、そして満18歳に達していなければならなかった。
彼と同じ理系教養クラスの友人から噂は聞いていました。
その人は、とある宗教団体の創設者ファミリーのひとりで、次期教主に指名されており、16歳で系列の高校を卒業し、17歳でその大学に入学したということでした。
面白いのは、入試に際して生年月日を偽ったわけではなく、高校の卒業証明と内申書といった必要書類が揃っていたため、年齢は見過ごされてしまった、という点でした。
さらに、高校卒業直後の16歳の時にも、つまり現役生より2年若くして複数の大学を受験し、いずれも生年月日のチェックはすり抜けた。しかも、我々の大学(国立大)は不合格となったけれど、早稲田大学の理工学部には合格した、という武勇伝の持ち主だった。
早大には進まず、1年浪人して翌年、2度目の挑戦で国立大に合格し、17歳で入学する。
彼は幼い頃からコンピュータープログラミングを学んで小学生か中学の時に国家資格も取り、甲子園の応援席で母校生徒が数種類のプラカードで描く文字や絵は、この『御曹司』がデザインしているという噂もあった。
けれど、私が留年して2回目の1年生となった時、彼もまた留年し、いわば『普通の人』になった。
留年後のドイツ語クラスで一緒になり、といっても彼の姿を初めて見たのは期末試験当日で、直前の"Last minutes"に必死で単語を憶えようとしている私に、のんびりした口調で後ろの席から、
「へーえ、それが教科書?」
と尋ねてきた。
横にいた『早朝テニスクラブ』の友人が彼を紹介し、
「ほら、学生証見せてやれよ」
と促すと、ああいいよ、と取り出した。
そこには確かに、現役入学した我々より1年遅い生年月日が書かれていた。
『へーえ、それが教科書?』
確かに次期教主に相応しい『余裕』だったのかもしれない。
比べて、ギリギリまでジタバタしているこちらは、どう見ても『小人物』だった。
1年後、私は ── そして『早朝テニスクラブ』の他のメンバーも無事進級したが、次期教主は必要単位を取れず(いや、取らず?)、再び留年した、と聞いた。
1年早くフライング入学した彼は、1年後、他の現役生に追いつかれ、さらに翌年、1浪入学にも並ばれてしまったことになる。
── そりゃ、そうだろうな。
『へーえ、それが教科書?』
おそらく、学業以外で多忙な日々を送っていただろう彼にとって、教養のドイツ語試験なんてのは、とてもちっぽけなことだったのだろう。
数年後、その人は正式に教主(という呼称ではなかったけれど)の地位を継いだ。
同じ頃、週刊誌だったか『フライング入学』の曝露記事が出て、文部省だったか大学当局だったかが世間に対して謝罪することになった。
でも、こういう極めて人間らしいミスがあり、しかもそれで別に誰も困らないんだから、それはむしろロマンさえ感じさせる、素敵なことじゃない ── と思ってしまう、のであーる。
数年前、その人の訃報記事に触れた時、後ろの席から覗き込んだ表情を鮮やかに想い出した。
『へーえ、それが教科書?』