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鳥を売る

ある私鉄駅ビルの横を通りがかった時のこと。
「今は私鉄が地下鉄と直通になったんで、この駅は通過駅になってすたれたけど、オレが子供の頃はここ、今のショッピングモールみたいな場所だったんだ」
懐かしく思うのは私だけで、この地で育っていない妻には何の感慨もない。

「……昔、ここに、《鳥屋》があったんだよ」
「トリヤ……って、ペットショップってこと?」
「いや、《鳥屋》だよ。もちろん、ペットとしてなんだけど、売ってるのは鳥だけなんだ……文鳥、セキセイインコ、ジュウシマツ、カナリヤ、……錦華鳥にオカメインコもいたな……」
「へえ……」

「オレ、鳥を飼っていたからね」
「お義父じいちゃんが言ってた。かなりたくさんいたらしいね。……ここで買ったの?」

「いや」
たぶんここでは買っていない。
昔は《鳥屋》が結構あり、デパートの屋上階には必ずあった。
買うばかりでなく、友人からもらったりもした。
「……ここにはねえ、……売りに来てたんだ」
「売る? え……どういうこと?」
「飼っている鳥が卵を孵し、雛を育てる ── そうやって増えた若鳥を売りに来ていたんだ」
「へえ……そんな話、初めて聞いた」

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《子供時代、身の周りの世界で、カラダやアタマを使ってお金を得る》経験をして欲しいな ── と下記のエッセイに書きました。

じゃ、お前自身はどうなんだ、と振り返ると、この、
《鳥を売る》
という行為がそうだったかもしれません。

父は単身赴任で2週間に1度ぐらいしか帰宅しない。
母はフルタイムで(その頃は)小学校教師をしていた。
祖母は高齢(既に80代)で孫に無関心。
── そんな放任家庭で、学習塾にも他の習い事にも行かず、時間ばかり無尽蔵にある小学校高学年であった私は、生活にかなりの自由度を持っていた。

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小学校4年の時、同じクラスの友人で、家の中が鳥籠で埋め尽くされた部屋を持つ者がいた。彼は4人姉弟でしかも家は決して大きくなかったが、貴重なひと部屋を父親が自身の趣味に占領していたのだ。
セキセイインコや文鳥のような一般的な飼い鳥だけでなく、カナリヤやオカメインコもいた。メジロやウグイスなど野鳥も飼っていた(当時は合法だった)。
その家に遊びに行くと、雛から育てた手乗り文鳥を籠から出して遊んだ ── それが、とても羨ましかった。

5年になった頃、自分でも飼い始めた。
最初は確か白文鳥、続いてセキセイインコ、さらに十姉妹、錦華鳥、と手を広げていった。値段の高い胡錦鳥やコザクラインコも一時期飼っていた。
最初はいわゆる観賞用の全面金属格子の鳥籠で始めたが、より鳥が落ち着き、かつ繁殖向きでもある木製のリンゴ箱に替えた。
リンゴ箱は市場の八百屋から調達し、これにぴったり合う前面の金属格子を鳥屋で買って釘で打ち付ける。リンゴ箱の中間に敷居を設けると、いわゆる《二軒長屋》ができあがる。
手製の長屋に止まり木を設け、床には新聞紙を敷き、餌や飲み水、それに水浴び場を設置する。
配合飼料は高価であり、かつ、栄養過多なので、雑穀屋でヒエアワキビ、さらに少量のカナリーシードを買い、鳥の種類に応じて自分で配合していた。

フィンチ類(文鳥や十姉妹)には藁で編んだ巣、インコには木製の巣箱を入れ、つがいにしておくと交尾をして産卵する。

交尾は、止まり木に乗るメスの背にオスが乗り、オスは翼を激しくはばたかせながらバランスを取りつつ体を「く」の字に曲げて生殖器を合わせる、短時間だがかなりけたたましい営みだった。
メスにとってもオスにとっても、見るからにかなりの重労働で、そのシーンを目にすると、子供心に、
(キミたちも、なかなかたいへんだなあ……)
と思うのだった。

彼らには他に娯楽もなく、(手乗りを除き)狭い長屋暮らしから一歩も出られないためか、次々と子作りに励み、子育てに邁進した。

その子供たちが十分育つと、《鳥屋》に売りに行く。
健康そうな若鳥ならば、売値の半値から1/3ぐらいで買ってくれたので、けっこう需要があったのだろう。
「梵天」と呼ばれる頭の上の羽毛が逆立っている十姉妹も飼っていたが、子にもこの遺伝情報が引き継がれ、普通の十姉妹より高く売れた。

鳥を売り始めたきっかけはよく覚えていないが、おそらくは自分で店主と交渉したのだろう。
こいつは健康な若鳥を持ってくる、とわかって「信用」もできたのだろう、十姉妹、文鳥、セキセイインコ、錦華鳥と、鳥籠を自転車の荷台に載せて何度も《鳥屋》に来た。

繁殖用の鳥とは別に、ペットとして遊ぶための「手乗り」も育てていた。クチバシが小さいため人為的には育てにくく販売もされていない「手乗り錦華鳥」も、自分で雛から育て、「十兵衛」と名付けて可愛がっていた。

錦華鳥(Wikiedia「キンカチョウ」より)

中学に上がった頃には手乗りの鳥を飼う友人数人と、《保険制度》のようなシステムを作っていた。
手乗りの鳥1羽当たりいくら、でお金を集め、鳥が亡くなるとその中から「弔慰金」を支出するのである。

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「へーえ……変な子供!」
妻があきれたように言った。

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