「過去」に物言い出来ても「未来」を予測できない
クリエイターは「未来」を見ている。
評論家は「過去」を見ている。
ふとそんなことを思った。
例えば、テレビ番組を作るにあたり、テレビマン(クリエイター)たちは誰も「低視聴率番組」を作り出そうと思っていない。
常に未来を予想し「面白いもの!」「視聴者が見てくれそうなもの!」を生み出そうと必死で努力している。
それを…テレビ評論家とかの肩書きを持っている人たちは、過去のデータだけを見て「これがダメだ!」「だから数字が取れない」的なことを一方的にまくしたてる。
まぁ、この論争をしだすと「優れた政治評論家が優れた政治家になれるか?」ということと同意義なので、無意味なことに近いのかもしれないが。
中には、ゼロからイチは生み出せないけれど、データ解析が得意という人がいて、優れた分析をしてくれる人がいるかもしれない。
それぞれ「適材適所」ということか?
ただ…存在しているかすら分からないような”放送作家”や”テレビ制作関係者”、”芸能デスク”の名の元に「だからダメなんだ_みたいなことをしたり顔で好き勝手に書かれるのは…クリエイトする側からするとあまりいい気分ではない。
一応、褒めるよりけなしたほうがアクセスがいいのは分かる。
YouTubeでも「ここがオススメ!」より、手でバツ印を作ったおなじみのポーズで「これをやってはダメ!」という方がアクセスが良いと語っているのを聞いたことがあるし。
とかく未来を予想するというのは膨大なデータの蓄積も必要となる。
テレビ評論家に「じゃあ、番組を作ってみろ!」…とは言わないが、アクセスを目的としただけの中身ゼロのコタツ記事を垂れ流すのだけはやめてもらいたいな…と思う今日この頃。