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実は「ある病気」だった件について

 自分山川は、多少の凝り性であり、多少の神経質であり、多少の潔癖症である…というところまでは自覚している。
 が!!
 明らかな病名のつく病気だったとは…ちょっとビックリしている。

 知るキッカケとなったのは、俳優の佐藤二朗さんが病気をカミングアウトしたことに始まり…。

 これを受けて、元放送作家の長谷川良品さんが「自分も同じ病気」ということを解説したYouTube動画をアップ。

 これを見たのだが…

「俺、全く同じことをしている!」

 と気付かされたわけで。
 つまり、俺は…

強迫性障害


 だったのだと。
 YouTube内の動画で、特に

「自宅から外出する際の戸締まりチェックの様子を動画で撮影」

 という部分では、首がもげるほどうなずいた。
 俺もやってる!
 長谷川さんのように数字(回数)にこだわるとかはないけど、俺の場合は(下手すれば)5分ぐらい玄関の前でガチャガチャとドアノブを回している時がある。

 あと「特定の文言」を呟くことをルーティンにしているなぁ。。

(ドアノブ回しながら)
右手・右
右手・左
左手・右
左手・左
両手・右
両手・左
視覚・触覚・聴覚、三覚チェックOK…

 といった感じで。
 (もうちょっと長い文言だけど)

 特に外泊の用事がある時は酷い。
 (実家への帰省とか)
 まず、部屋の中からスマホの動画を回し始め、窓の鍵・電源関係・お風呂の給湯器のガス…そして玄関の鍵を閉めるまでの“全て”を記録しなくては気がすまない。
 そうしないと、出先で

「あれ? 鍵は本当に大丈夫だよな?」
「照明のスイッチは確実に切ったっけ?」
「ガスの元栓は閉めた…はず!?」

 などと不安に陥った時に確認する手段が無いからだ。
 出先で不安になりだしたら、もう仕事や旅行どころの気分ではない。
 とにかく不安なのだ。

 別に泥棒に入られても、資産も財産も無いので大した被害が出るわけではない。
 それでも! やはり俺の鍵の不注意で泥棒には入られたくないし、(不在の時に)俺の部屋が原因で出火した…なんてことにもなりたくない。
 こうした不安に四六時中つきまとわれるのが、この病気の厄介極まりないところだと思う。

 俺の場合、こうした確認したか不安になる症状は「自宅からの距離と外出予定の時間」に応じてレベルが違うように感じる。
 ゴミ捨てとか近所のスーパーにサクッと買物へ行く場合は、もちろん動画を回さないでも大丈夫だし、そこまで念入りに戸締まりをチェックするということもない。
 なぜなら、数分〜数十分後に帰って安全が確認ができるからだ。
 が、電車に乗って遠くへ行く場合とか…外出先で長時間の仕事をする予定の場合は、まず「動画撮影強迫性障害タイム」が発動する。

 日帰りの用事の場合は玄関の戸締まりの様子を撮影するだけで済むが、実家へ2泊3日で帰省する…という時などは、上記に書いたような窓ガラスの戸締まりから撮影を開始しないと気が済まなくなるわけだ。


 元々、「心配性」の気質はあったが、俺がここまで強迫性障害になってしまったキッカケを考えてみたら…思い当たるフシがあった。

 あれは俺が派遣会社でパソコンのオペレーターをしていた頃。
 肩凝りが一番酷かった時期かもしれない。
 その時期に肩凝りからくる片頭痛なのか分からないけど、とある日…

玄関で鍵を閉めてから、駅のホームまでの記憶がスッポリと失くなっていた

 という事件が起きた。
 出勤して毎日“全く同じ”パソコン操作の仕事をすることがルーティンワークだったので「別に記憶しないでいいや…」と脳が感じたのかもしれない。

 にしても、住んでたアパートから花小金井の駅までは、交通量がそこそこある道路を渡らなければいけない(=車に注意しなければいけない)のに、車の往来を確認したとか信号機が赤・青だったという記憶がまるで無い。
 極めて危険な通勤路だった…と。
 この記憶喪失事件は、20代だった俺にわりとショックを与えた。

 つまりは「鍵を本当に閉めたのかどうかの記憶も無い」わけで。。

 なので…当時、持っていたのはガラケーだったので「戸締まりの【動画】を撮影する」ということはしなかったが

【記憶】よりも
【記録】が重要だ!


 と思い立ち、鍵を閉めた(ドアノブを握った)【写真】を携帯で撮影するようになったのだ。
 なので、昔のガラケーのデータには謎にドアノブの写真が残っていたりする(苦笑)。

 以降、数十年に渡り「記憶より記録を信用する」という症状が続き、現在に至るわけだ。

 「手を洗い続けなければいけない!」みたいな強迫感は無いのは運が良かったかもしれない。
 これの不安に襲われている人は大変だろうな…。


 あと、自分が露骨に「強迫性障害」を感じる瞬間は…

郵便物を出す時


 かな?

 (郵便物を)間違えて送ってはいけない…という不安が根底にあるがゆえの行動だが。
 まず、封筒の宛名と中身が一致しているかどうかが不安に駆られる。

 西尾維新先生の『少女不十分』というラノベの中で…

主人公の男が「中身がちゃんとなっているか不安だから」と、一度糊付けした封筒をハサミで切って開けて、確認してからまた新しい封筒に入れ直す…

 という”作業”をしていたが。
 俺も8割方そんな感じ。
 封筒がもったいないし、宛名を書くのが面倒なので糊付けしてからの開封は諦めるけどね(苦笑)。
 だから、糊付けする前にめっちゃめちゃ何度も何度も確認する。

 万が一、糊付け後に不安になった時は、懐中電灯などの明かりで封筒の中身を透過させ、そこに浮かび上がる文字を見て「よし、金額も請求先も大丈夫だ!」と自分を納得させることもある。

 で…投函する際には「切手も貼ったし、住所もちゃんと書きましたよ!」という安心感を得るためにポストの前で封筒の写真撮影をしておくのも忘れない。
 (記念撮影ではないので、自分の姿は入れないw)


 他にも細かなところで色々「強迫観念」を覚える瞬間はあるけど。
 他人が「山川のあの行動は異常だと思う」と感じるのは”戸締まり”と”郵便物投函”がメインだろう。
 (あ、、動物系もあったっけ…)


 人格の「核」の部分を他人に矯正されるのは苦手だ。
 なので、誰に何を言われようとも戸締まりの確認は絶対に止められないだろう。
 誰かが近くにいる場合は「@@さんと一緒に確認したから大丈夫…なはず!」と記憶確認のツールに組み込んでいたりするけど。

 と、こうして書いてみた文字を見ても、、ほんと…厄介な病気だとつくづく思う。




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