「月はさまよう銀の小石」のネタバレ感想
「月はさまよう銀の小石」のネタバレ感想を書きます。
読んでない人は今すぐに読んできましょう。4000文字の小説なので、あっという間に読めちゃいますよ。
月はさまよう銀の小石 | VG+ (バゴプラ) (virtualgorillaplus.com)
ということで、読んできましたね?
ではネタバレ感想を書きます。
この作品、最初に「こりゃただ者ではないな」と感じたのは、
というところ。
ぼくは野球が好きでよく球場に行くんですが、何の気なしにつぶやいた一言が、たまたまみんなが黙っていたことによって、けっこう響いちゃうことってあるんですよね。
だから、それを「その声はさざ波のようにスタンド中に伝播し」と書く手際にやられてしまうわけです。そういうときの空気感がよく伝わってくるので。
六回三分の一を投げて勝利投手になった、というところから、過去へと話は進んでいく。
ここで、なかなか野球に繋がらないの、じりじりさせてくれて、嬉しいです。待って待って、待って待って、ついに野球に繋がりそう、と予感させるシーンは肉体描写で、これが素晴らしかった。
スポーツは見るよりやるほうが楽しいとはよく言われることです。確かに自分で動いたほうが面白かったりはしますが、ぼくのようにノーコンだとストラックアウトはあまり楽しめません。
そういうときは、上手な選手を応援する。よく見て、よく選手について知って、限りなく自分と選手を同一視して応援することによって、選手を応援しながら自分も戦っているような気分になる。これがたぶん、試合観戦を楽しむコツみたいなものかと思うんですが(そしてその危うさについて沢木耕太郎は「視ることの魔」に書いているんですが)、小説だとそこに見るだけでは感じられないことまで伝えてくれる。それが肉体の細かい状態で、溜めに溜めた状態で肉体描写を選ぶのは素晴らしいの一言につきると思います。
そして、その直後に、このセリフが出てくる。
ここで、野球との関わりが親子の絆と重なってくる。それを象徴するのがキャッチボールで、しかしというか、当然というか、幸せな時代はここまでで。
血の絆が呪いのように感じるきっかけが外見であるというのも刺さります。
手術が終わって目覚めて、こう思う気持ちもたまらないものがある。
父親が自分とは違う顔つきになった息子を、「俺は永遠の命を得た!」と誕生にむせび泣いたの息子が変わってしまったのを、目の当たりにしなかったのは作者の優しさだとぼくは思いました。
差別的な社会は親子の情を引き裂く。そしてそれが、個人の自己責任に回収されてしまい、それぞれにとって大きな傷となる。そういうケースが、例えばハンセン氏病の家族にもあって、そういうのを思い浮かべたりしました。
ラスト手前で、ネアンデルタールの人々が第一次火星植民団のメンバーに選ばれたのは、都合の良い排除というか、棄民のようでちょっとモヤモヤとします。追い詰めたというか、追放した社会の側の冷たさに、胸が冷える。
でも、だからこそ、息子のほとんど無謀ともいえる最後の行為には、大きな意味が託されていて、そこにぼくは救われました。