「冬将軍」が日本に来るまで⑴─ナポレオンを負かした「General frost」の正体
はじめに
「冬将軍」という言葉は、厳しい冬の寒さを擬人化した表現で、特に日本では冬季に南下する北極気団、すなわちシベリア寒気団を指して使われる。
日常生活において、「冬将軍」の表現は、特に天気予報などで寒気団の南下や厳しい寒さの到来を知らせる際に用いられる。また、手紙や会話の中で「冬将軍が到来したが、皆様お変わりないか」といった形で使われることもあり、寒波や酷寒などの類義語としても機能する。
この表現の起源は、1812年にフランスのナポレオンがロシアのモスクワに遠征した際、厳しい冬の寒さによってフランス軍が多大な損害を受け、撤退を余儀なくされた歴史的な出来事に由来する。イギリスの新聞がこの出来事を「General Frost(霜将軍)にナポレオンが負けた」と表現したことから、「冬将軍」という言葉が生まれたとされる。この表現は、厳しい冬の寒さが戦略的な役割を果たしたことを示しており、実際、ロシアに対する過去の軍事侵攻の多くが、冬の厳しい気候によって失敗に終わっている。このような「冬将軍」という表現の由来は、雑学として多くのところで述べられており、かなり有名な話と言えるだろう。
元はフランスとロシアとの戦争という文脈の中で生まれた言葉であるのだから、ここからロシアに対する軍事侵攻時に、似たような状況で「冬将軍」が扱われることは理解できる。実際に第二次世界大戦におけるドイツの侵攻の際に日本の新聞では「冬将軍」という用語が使用されているし、現在のウクライナ戦争でもネットニュースの中に「冬将軍」の使用例がある。
ところが、ロシアの戦争の時だけに参戦すれば良さそうなものなのに冬将軍は日本に住む民間人をも苦しめる。先に述べたように一般的な気象予報などの文脈において「冬将軍到来」という言葉が人口に膾炙しているのである。
ここで二つの疑問が思い浮かぶ。
①冬将軍はいつから東アジアを攻め入るようになったのか。
②冬将軍はいつから民間人を攻撃し始めたのか。
レトリックを取り除いて、厳密な言葉遣いをするならば次のようになろうか。
①ロシアやヨーロッパから大陸を挟んで反対側のアジアにおいて強い寒波を表現する語彙として使用されるようになったのはいつからか。
②ナポレオンのロシア遠征の失敗を揶揄するための用語であった「General frost」が、ナポレオンの文脈を離れ、一般的な気象語彙として使用されるようになったのはいつから。
こうした疑問を考えた時、「冬将軍」という言葉の由来に飛躍があることが分かるだろう。この飛躍を埋める知識が欲しいというのが本記事の目的である。
「冬将軍」の由来
そもそも「General Frost(霜将軍)にナポレオンが負けた」の出典は何か。
「General Frost」という表現は1812年、ナポレオンのロシア遠征を題材にしたイギリスの風刺画で初めて登場した(【図1】)。この風刺画では、「General Frost」がナポレオン、すなわちイギリス人から「little Boney」と呼ばれていた人物を剃る様子が描かれており、ロシアの過酷な冬がナポレオンの軍隊に与えた影響をユーモラスに表現している 。
この風刺画の題は「General Frost shaving little Boney(リトル・ボニー(=ナポレオン)を剃るフロスト将軍)」とあり、大英博物館のデータによると、制作者はウィリアム・エルムズ、出版者はトーマス・テッグで、1812年12月1日の作品である。大英博物館に所蔵されている。風刺画内ではGeneral Frostがナポレオンを圧倒する姿が描かれている。General Frostはナポレオンの鼻を掴みながら、「ロシアン・スチール」製の大きなかみそりを振りかざしている姿が特徴的である。
同じウィリアム・エルムズの風刺画として、1ヶ月前の11月7日付けのものがある。それが次の【図2】である。
こちらのタイトルは、「Jack Frost attacking Bony in Russia.(ロシアでボニー(=ナポレオン)を攻撃するジャック・フロスト)」である。ジャック・フロストとはイングランドにおける霜、や冬の寒さの擬人化した存在である。妖精と説明されることも多いが、絵を見る限り化物とか妖怪とかと言っていいだろう。
この絵におけるジャック・フロストと、前の絵における霜将軍はその見た目がかなり似ている。そうだとしたら、この2人(2つ)は同一人物(概念)と言って良い。つまり「General Frost」は「霜将軍」という、新たな概念の「発明」ではなく、既存の冬の象徴であるジャック・フロストに軍事の象徴である将軍職を与えたに過ぎないということなる。それなら、「霜将軍」ではなく「(ジャック)フロスト将軍」と呼んだ方が良いのだろう。日本風に考えれば北風小僧の寒太郎に大将を担わせるようなものだろうか。ここに冬の象徴と軍事の象徴が組み合わさったのである。
ただジャック・フロストは、元がイングランドに伝わる架空の生き物なのだから「フロスト将軍」と言われても英語圏以外には伝わりにくいだろう。それを裏付けるかのように、Wikipediaに示された「General Frost」の各国の訳語には、「霜将軍」にあたる訳語は存在せず、「冬将軍」か「ロシアの冬」と訳されている。
Wikipediaに載せられている画像【図3】は1916年のLe Petit Journalの表紙(恐らく第一次世界大戦に関する記事)であるが、ここに書かれたキャプションは「Le Général Hiver」で、これもGénéral(将軍)とHiver(冬)で構成されている。
ここまでをまとめると次のようになるだろうか。まずイギリスがナポレオンが負けたロシアの冬に対して、冬の象徴としてのジャック・フロストに担わせることで擬人化を行なった。つまり「霜将軍」の正体は「ジャック・フロスト」であったというわけだ。
この「フロスト将軍」を訳す際に、ジャック・フロストという考えの無い英語圏以外では、フロストが抽象化され「冬」という用語に置き換えられて訳された。
こうして「冬将軍」なる概念が誕生したと推測される。もっとも厳密な実証は行っていないし、ジャック・フロストに関する用例も、もう少し探る必要があるだろう。ただそれは卒論でテーマに困った歴史学徒がやればいいと思う。
これは趣味程度のつもりなので、ここまでにしておく。
次回は、日本における展開を論じていきたい。