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北方領土問題の ”空白の19日間”

皆さんこんにちは、shunGoです!!


突然ですが、皆さんは終戦記念日がいつだかご存知でしょうか?

日本全国民が知っている、決して忘れてはならない日。1945年8月15日です。
この日、敗戦を知らせる玉音放送が日本中に響き渡りました。

しかし、皆さんは国際ルールの上では終戦日がこの日ではないと言うことをご存知でしょうか?

実は、国際的には戦争が終結したのは1945年9月2日とされています。
理由は、この日に降伏文書調印が行われたためです。

そして、この ”終戦の日” こそが今回皆さんにお伝えする北方領土問題を知る上で最も重要なことなのです。

なぜ今、日本とロシアは北方領土をめぐって争っているのか。歴史を紐解きながらなるべく分かりやすく5分で解説していきます!


①北方領土ってどこ?

まずは大前提として、北方領土についての基礎知識を復習しましょう。

北方領土は北海道の北側にある3つの島と1つの群島からなる領土の総称を言います。それぞれ、択捉島・国後島・色丹島・歯舞群島と名づけられ、すぐ近くには千島列島樺太が位置しています。

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戦前には北方領土に2万人弱の日本人が居住していましたが、戦後の1948年までに強制的に本土へ追いやられてしまいました。

現在はロシアが実効支配していますが、歴史を遡るとかなり複雑な事情が隠されていることに気がつきます。


②〜終戦


まずは、両国が北方領土を見つけたとされる時期をおさらいします。
日本で1644年に描かれた「正保護国絵図」と呼ばれる地図には、現在の北方領土の島名に近いものが描かれています。一方、ロシア側は1739年に作成された地図に初めて北方領土が記されたとされており、史実上は日本が先に発見したという日本側の主張があります。

18世紀末の江戸幕府時代には、北方領土は直接の管轄地となり精力的に開拓されていき、1855年には日露通好条約が結ばれ、日本とロシアの国境は択捉島とウルップ島の間であると正式に決められました。

この時、樺太は国境を決めず日本人とロシア人が同じ地域に暮らしていました。


しかし両国民の揉め事が増えてきたことを受け、1875年に日本とソ連の間で樺太・千島交換条約が結ばれ、日本が樺太を手放す代わりに北方領土・千島列島全域を手に入れました

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樺太全土をロシアに渡した日本でしたが、その後日露戦争で勝利し、ポーツマス条約により再び樺太南部を取り返したのです。


そして、第二次世界大戦時が勃発します。日本はアメリカ、ソ連はドイツとそれぞれ戦っており、日本とソ連は互いに敵国を背中に置くようなヒヤヒヤする状況でした。

このヒヤヒヤする状況をクリアにするため、日本とソ連の間で互いに攻撃するのは辞めましょうということで日ソ中立条約を締結しました。


しかし、なんとソ連はこの条約を裏切ったのです。


1945年2月にソ連のヤルタという地で、アメリカ・イギリス・ソ連が集まりヤルタ協定を結んだのです。この協定でアメリカはソ連に対し、日本を背後から攻撃してくれたら樺太と隣接する列島や千島列島を君達のものにしてあげるよと言い、ソ連はその魅力的な条件に食いついたのです。

そして日本は戦争に負けました。


③終戦


1945年8月15日、私たちが終戦記念日として覚えている日です。

日本ではこの瞬間に戦争が終わったという認識でしたが、ロシアはそんな状況下でも関係なく、北から日本に侵略していきました

”日本が弱っているからラッキー” という感覚だったのでしょうか?


ロシアの侵略は進み、日本が降伏文書に正式に調印した1945年9月2日までに北方領土の内、択捉島・国後島を占領しました。そしてさらに侵攻を続け、9月4日までに色丹島・歯舞群島までも占領したのです。そうしてロシアは北方領土全域を占領しました。


当たり前ですが、国際法では降伏した後に侵攻するのは違法とされています。
そうでないと無法状態です、カオスです。

ざっくりと、
終戦前に占領された:択捉島・国後島
終戦後に占領された:色丹島・歯舞群島

という認識になります。


終戦後のサンフランシスコ講和条約では、日本は樺太の南半分と千島列島の所有権を放棄することで決定されました。

しかし、実はこのサンフランシスコ講和条約はアメリカが中心となって取りまとめており、当時東西冷戦が始まっていたためアメリアと犬猿の仲だったロシアはこの条約に参加しなかったのです。


そのため、日本側の主張としては、南樺太と千島列島は確かに放棄したがサンフランシスコ講和条約に参加しなかったロシアのものでもないという姿勢を持っています。

また、1855年に結ばれた日露通好条約で日本とロシアの国境は、択捉島とウルップ島の間であると正式に決められていたため、北方領土は依然日本のものだと言っているわけです。

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④戦後〜現在


その後、日本とロシアは互いに北方領土を解決しようと試みていますが、現在に至るまで ”接近しては離れて” を繰り返しています。


順に見ていきましょう。

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1956年には日ソ共同宣言が発表され、”両国仲良くしようぜ” ということで当時のソ連の大統領が「終戦後に侵略してしまった色丹と歯舞は返還する」と声明を出し、事態は収束するかのように思われました。

旧ソ連側にも、終戦後に侵略してしまった色丹・歯舞に関してはよくなかったという思いがあったのでしょう。


しかし、1960年に日米間で軍事同盟を強化する内容の安全保障条約の改定が行われてしまい、ロシアは不信感を募らせました。

なぜなら当時は冷戦状態であり、ソ連は色丹と歯舞を返還すればそこにアメリカの軍事基地が建てられる可能性があると考えたからです。

日本としては、米軍基地は絶対に置かないと言いたいところですが、残念ながら米軍基地の場所を選ぶ権利はアメリカが握っていました。

なんと歯痒い、、、、、そして交渉は決裂しました。


当時、政治家の間では2島返還派4島返還派で派閥が分かれていました。

どうしようかと皆が思い悩んでいる時、鈴木宗男という北海道出身の1人の国会議員がこんな提案をしました。

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「まず色丹と歯舞を返還してもらおう、それから平和条約を結んで安全を確保してから、択捉島と国後島の交渉を続けて行こうよ」

これがかの有名な戦略、2島先行返還案です。


当時の両国のトップ(日本:鳩山一郎、ロシア:プーチン)は互いに下の名前で呼び合うほど仲が良いとされており、この鈴木氏の提案が上手くいきそうな雰囲気がありました。

しかし!!!ここでもまた問題が発生します。


日本側で、首相が親米派の小泉純一郎に交代し、さらに外務大臣には田中真紀子議員が選出されました。

田中氏の父は元総理大臣の田中角栄であり、北方領土の4島返還のために奔走した父の意志を継ぎ、娘は4島返還にこだわる人でした。


というわけで、ロシア側としては最近まで2島返還って言ってたくせにいきなり4島返還に寝返りやがって、この嘘つき!!ということでまた両国の距離は離れてしまいます。


そんな中、シェール革命がおきます!!


シェール革命とは、ただの地層から石油を採掘できるようになった技術革命のことです。なぜ、革命なのか?それは多くの国の事情を激変させたからです。

シェール油はアメリカでも採掘できました。それまでアメリカは石油を中東から輸入していましたが、自国で賄えるようになったのです。

お得意さんを失った中東は、ヨーロッパへと売り始めます。


当時ロシアは石油をヨーロッパへと売っていましたが、中東の台頭やウクライナとの間のクリミア問題により、ヨーロッパへの石油供給が不安定になりました。

そこで客としてターゲットにしたのが日本でした。
皮肉にも、この時日本では東日本大震災があり石油や天然ガスを非常に必要としており、隣国で運搬の手間も省けるロシアに頼りたい状況でした。


そして再び両国は交渉を進め、2島返還+エネルギー供給の経路開発という条件で話は進んでいきました。

今度こそ上手くいくか!!と思われましたが、やはりそうはいきませんでした。

ロシアのプーチン大統領の支持率が低下したのです。理由は単純で、ロシア人の多くは北方領土はロシアのものであると考える人が多く、2島返還すると言ったプーチンを嫌ったためです。

自分の地位を確保するために国民の支持を得ることは最重要、そう考えたプーチンは寝返り、2島返還案に難色を示しました。


そして今もなお、北方領土問題は解決されないまま硬直状態となっています。


④ロシアの主張

ロシア側の主張としてあげられるのは、まずは秘密協定のヤルタ協定です。

アメリカとの間で日本に勝つことで樺太南部と隣接する列島・千島列島がロシアに返還されるという内容であったこと


また、重要なのがサンフランシスコ講和条約です。

ロシアはこの条約に参加はしていないものの、日本は千島列島や樺太などを放棄すると認めましたよね?というスタンスのようです。

そして、ロシア側の解釈としては千島列島に北方領土が含まれていると考えており、すでにロシアの領土と捉えているようです。

さらに、1951年の日本の国会で「千島列島に国後と択捉が含まれる」という発言もあったことも、ロシア側が千島列島に北方領土が含まれているだろと主張する一つの要因なのかもしれません。


⑤まとめ


北方領土問題は、主に第二次世界大戦前後から現在まで続く、日本とロシアの間の領土問題です。

<重要ポイント>
・第二次世界大戦以来、日露は正式な国境を決める条約を交わしていない
・終戦日の認識の違い
・サンフランシスコ講和条約にロシアは参加していない

<日本側の主張>
・1855年の日露通好条約で択捉島とウルップ島の間に国境決めたから北方領土は
 日本ものだ
・降伏してから攻め続けるのはあり得ないだろ
・サンフランシスコ講和条約で、樺太と千島列島は手放したがロシアは条約に参加
 していないからロシアのものではない


<ロシアの主張>
・千島列島の中に北方領土は含まれている
・日本はサンフランシスコ講和条約で千島列島と樺太手放しただろ
・終戦は9月2日までだから、それまでに侵略した領土は我々のものだ



[画像出典元]
http://sapporo-tomita.co.jp/blog/1861/
https://www.iza.ne.jp/kiji/world/photos/180305/wor18030518230023-p1.html
https://yamashirokihachi.blogspot.com/2017/01/blog-post_7.html
https://news.yahoo.co.jp/articles/a3468447357fdbae8a910af97de333efcba70e63
https://ja.wikipedia.org/wiki/鈴木宗男






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