「現場」の呪縛
仕事をしているとよく耳にする「現場」という言葉。問題解決をしてビジネスを進める上で、実際に物事が起きている現場を理解し体験することは大事だ。
水産業、遊漁(ゆうぎょ)のプロジェクトに関与してから現場という言葉を聞くことが一層増えた。霞が関の省庁の検討会、会議でも必ずと言っていいほど現場という言葉を耳にする。
漁業者や遊漁者の一部は声を大にして「行政や学者は現場を見ていない!」と訴える。その指摘はその通りであることも少なくない。そうした声を上げる人たちは実際の声量そのものが大きく、声を荒げて「現場を見て仕事をしろ」と会議に割って入ってきて、議論が進まなくなる様子を何度も見た。
一方、法規制やルールを作る仕事をしている人たちの目線で見れば、彼らにとっての「現場」も存在する。政治家、官僚、自治体、業界団体や関連組織などのプレーヤーと、法的根拠や慣習に伴うルール作りのプロセスだ。
対立構造にはないものの、ルールを適用する場所である現場と、ルールを作る場所の現場は主語も対象も異なる。お互いの理解無くしてルール作りは不可能だ。現場主義はもちろん大切なのだけど、ある一部の場所で起こっている問題や要望を解決するために世間、世界は回っているわけではなく、各自の持ち場の中で仕事を進めていくしかない。
「声が大きい人」が叫ぶ「現場を見ろ」という言葉は正解だし納得感もあるので存在感が大きい。けれどもそれに委縮する形になってしまえば、本来の業界や問題構造の俯瞰的な理解や論点整理が進まなくなってしまう。
この2年は、多くの遊漁業界関係者を中央官庁の会議に招き、法規制を整備する仕事の人たちに直接会い、顔を見る機会の創出に努めた。霞が関の官庁オフィスはそのほとんどがお世辞にも綺麗とは言えないくらい古く、狭い執務スペースの中で、暑かったり寒かったり大量の紙書類と様々な関係者との調整に囲まれながら仕事に追われている。
それを目の当たりにした遊漁業界関係者の多くがイメージと違ったと口を揃える。現場の問題ばかり一方的に訴えていても何も進まない。うまくいかないかもしれないし、時間も掛かるし無駄になるかもしれない。そうわかっていても行動しないよりは良いので、私たちは問題解決のためにステークホルダーの相互理解に努め、常に課題を議論し解決する行動を目指している。
問題ばかりで収拾がつかず、遊漁側と行政側のお互いの顔が全く見えなかったクロマグロ遊漁も、今では相互に連携する体制が整い、短期、中長期のルールを議論し反映できるようになってきた。
クロマグロ遊漁に限らず、現場の呪縛から解き放たれた相互理解、連携による産業変革を今後も進めていきたい。