オーラは色だけでいいのか?
人を見て色を感じるようになり、評判になっていろんな人を見てみるようになっていくにつれて、私自身「ん???」と思うことが多くなりました。
その大きな要因は「色」という観点で見てみると説明が足りなかったり、本筋からずれた説明になってしまうことでした。
疑問を抱きながらも、鑑定した人と仲良くさせていただく中、自分が間違っていたと感じることや「これがあの時の心残りの正体だ!」と気づくことも多くありました。
そして、気づいた疑問や違和感の正体は「色だけで捉えることでの包括性の低さ」でした。
人の色(オーラ)というものを「色」として捉える時、私の中で映像として映し出されるものは
・色
・グラデーション
だけでした。
しかし、そもそもオーラというのは僕の頭の中に映し出される「アウトプットの一つ」でしかありません。その形を制限するということは片手しか使わずに日常生活を送ることとあまり変わりません。
オーラが見えるまでのプロセス
そもそもオーラというものを私の脳で捉えるまでのプロセスは
①鑑定対象への興味関心を抱く
②鑑定対象の情報因子に見つけ目で吸い取る
※情報因子とは実際の人や名前や噂話されている時に周りに飛ぶ粒子のようなものです。
③情報因子を読み取り映像化する
④映像を言語化し相手に伝える
というものでした。
しかし、オーラを「色」と「グラデーション」という制限捉えてしまうことで③と④の間にきめ細かいフィルターをかけることになります。
その結果、最終的に言語化して伝える選択肢は減っていきます。
そして、今
感じ取ったものを「色」で捉えるというところから離れると大きな変化が出始めてきました。
・感じ取れる情報量の増加
・言語化の円滑化
これらが主な変化です。
色で全てを捉えるようになると小さな違和感はフィルターに濾し取られることになり、違和感が残るのにその正体は不明な状態になります。
つまり、「なんか気になるんだけど、気になるとしか言えない」という状態です。
相手に質問をして確認するにも質問内容が出ないことも多かったです。
言語化への流れも増えた情報量とアウトプットへの制限をなくすことにより私の感じているものに対してより詳細でダイレクトな表現ができるようになったのです。
実際の見えているパターンについて
さて、今まではここからが本題です。(本題までが長い笑)
実際に見えるパターンについていくつか紹介をしていきたいと思います。
パターンが増えたとはいえ、「色」も当然見えます。それは下記の記事からご覧ください。
今回は「形」の種類と形以外で見えるパターンについて自分自身の整理のためにもお伝えしていきます。
層型
まず最初は「層型」です。
層型はその名の通り、色が二層、三層と重なり合うように見える形になります。
そして、自分の核の部分は一番中心の色となります。
特徴としては・・・
・自分の本来持っている欲求や願望を最初は見せず周りを把握する
・与えられた場所やポジションの中で求められているものを理解し応える力がある(本人的には望んでいないとしても)
・学習した内容を多角的な視点で考え取り入れることができる
・バイアスが複雑化してルーティンから抜け出しにくい
そもそも、このオーラが層になるという現象が下記のような流れで行われることが多いです。
①自分の欲望に忠実に生きる
②壁にぶつかる
③周りを見て、学習し取り入れる
④自分にぴったりのバランスを調整する
⑤②③④を繰り返す
つまり、自分と他者、そして社会との折り合いをつけるために様々な試行錯誤を繰り返し、適応していくタイプとも言えます。
理性で状況を把握する学習をしてきていることが多いので、
理性の鎧を下ろせる相手や場所を持つことがストレスやプレッシャーから身を守るコツです。
好き嫌いで良し悪しを判断しきらない理性的な要素は「層型」の人にさらなる成長をもたらすので、「自分らしさ」を殺しているのではなく、「自分で身につけた武器をさらに磨いている」くらいの気持ちでいると良いです。
火の玉型
火の玉型はその名の通りに火が燃え上がっているように見える形です。
火の大きさや形、そして色、さらには色が変わっていく頻度など様々なタイプがいます。
が、今回は火の玉型全体での特徴をお伝えしていきます。
特徴としては・・・
・自分の欲望に対して忠実かつ獲得の行動スタイルにストレートに出る
※思ったら即行動や納得行くまで動かないなど
・型や形にハマることを嫌う
・人を見抜く力が強い(人の言動や行動の違和感に敏感に気づく)
・こだわりが強い
・無意識の行動や言葉が人の心に刺さる
・ダメージを直接食らうため、体が弱いかメンタルが弱い
火の玉型の人は個性が強い人が多く、
自分で個性を隠そうとすると他から見ても違和感や無理をしていることが丸わかりになるという方が多い印象です。
そのため、いかに自分が自由になれる活動と環境と人を見つけられるかが鍵になります。
同時に「失敗の試行回数」が鍵になります。
火の玉型の人は場に波を生み出せる人です。
そのため、注目も浴びやすく、失敗は目につきやすいものになります。
しかし、失敗による学習で防御力も上がり、自分の個性の強弱のつけ方を覚えていきます。(周りに自分を守るための「壁」を作るので「窯型」になっていくとも言えます)
その結果、自分の個性を失うことなく、他者との共存をしていくという状態に入ることができます。ある種の「自分であるということへの諦め」を得ることになります。
だからこそ、火の玉型の人は目立つ、前に出る、上に立つという機会があれば「とりあえずやってみる」というスタンスが良いです。そして、他人の意見をあっけらかんと流す意識も大切です。
リバーシブル型
リバーシブル型は層となっている色が状態によって綺麗に入れ替わるタイプになります。
層型の人たちも入れ替わる時があるのですが、それはあくまでもその色を「武器」として使う時に一番外に出てきます。その人の本質的な色はあくまでも一番体に近い色です。
リバーシブル型の人たちは持つ色それぞれが完全に自分であり、色が入れ替わるという動作も含めて自分です。
そのため、全く同じ状況が2回起きた時、それぞれで全く違う決断を行うということも起こります。
こういった点から気分屋として見られることもありますが、気分が原因ではなく、そういう性質であるくらいに考えたほうが強みとして働くでしょう。
特徴としては・・・
・飽き性
・同じことの繰り返しが嫌
・臨機応変な対応を理性的に素早く行える
・こだわりよりも体験経験重視
・思考速度が速く、同時に何パターンも予測する
リバーシブル型の人はとても器用に状況をやり抜き、楽しみ抜きます。
思考を巡らせる力と実際の行動への瞬発さは大きな武器になります。
注意点があるとすれば、「自分らしさ」という言葉に囚われてしまった場合です。
リバーシブル型の人にとって「自分」という領域はとても広く、一つ一つを切り取り言葉に変換していった時、矛盾に悩むことになります。
しかし、悩むことによって「自分の一貫性」を取ろうとすると持ち前の臨機応変さと瞬発力は失われてしまいます。
そのため、「自分らしさは他人の私の印象全て」と思うくらいに開き直ると良いでしょう。
自分を深掘るよりもあらゆる角度から見える「私」を人から教えてもらう意識を持つと言語化しずらい「私」をつながりで感じることができるでしょう。
大福型
大福型はその人の本質的な色が外側に膜を張るように存在し、内側が色や形も含めて大きく変わります。
他の人から見ると感情的も安定をしていて落ち着いているようにも見えますが、本人としては繊細に様々なものを感じ取って影響を受けてしまい、安心できないということがあります。
中身がすっぽりと抜けた時は空虚感を感じ、良い時は止まらなくなるほどに調子が良いです。
※「緑色」が見える人に多いと感じます。
特徴としては・・・
・クリエイターや表現者が多い
・外側から見ると落ち着いているように見える
・気遣い屋で空気を察する力が強い
・場の雰囲気の揺れに敏感
・人の相性が極端になる
・一人で抱え込みやすい
大福型の人は様々な情報を自分の中に取り込み、
練り上げて熟成させながら、自分なりの言葉や思考にしていきます。
そのためインプットとアウトプットの循環に時間がかかり、
インプット過多になり、それが抱え込み型のストレスになっていきます。
そのため、自分に合う聖域を見つけ、リラックスすることが大切です。
思考が重くなりやすいので、相談やストレス解消のタイミングはいつも「少し早め」くらいがちょうど良いでしょう。
多くのものを感じ取ってしまうということは、それだけ複雑で割り切れないものを考え抜けるということでもあります。
大福型の人が生み出すものは深みアウトプットになり、多くの人が気づくことすらできなかったものに優しく気づかせてくれます。
抱え込みすぎることなく、それでも考えることは止めず、自分の速度を見出されることなく過ごしていけると良いです。
霧型
霧型の人は色を構成する粒子が細かく流動的に動き回ります。
風船が風に流されていくことと同じように、本人から外へと広がっていきます。
場の情報(非言語な空気感も含めて)把握する力が高く、
その状況に合わせる能力も非常に高いです。
先ほどの大福型の人たちが自分という境界線で触れるものに対して繊細にであったことに対して、
霧型の人たちは粒子一つ一つがセンサーとなり、霧散させていくことで新たな情報や細かい背景を把握していきます。
粒子が細かいということはそれだけ自分という存在を変えていけるということです。
いつの間にか場の潤滑油的な役割をしていることもあるでしょう。
特徴としては・・・
・新しい情報や未開拓の分野を知るとテンションが上がる
・コミュニケーション力が高く、場や人への対応力が抜群
・一つの場所でじっとしているのは苦手。
霧型の人にとって「囚われること」は大きなストレスになります。
外へ外へ広がろうとする粒子が堰き止められ、情報の循環が起こらなくなるからです。
これは場所だけではありません。
言語化することであったり、見える形にすることも一つの「囚われ」となります。
一つに固めることで身動きが取れなくなり、
今までできていた柔軟な対応ができなくなっていきます。
「囚われ」から抜け出す方法は「学びと問いを循環させて外に向けること」です。
定めた言葉や概念に固執せず、すぐに捨てられるほどに意識を外に向けていくことが大事な要素です。
そのため、内省で悩み抜くよりも自分の行動や対応を人に聞くことで、自分を外から眺めると良いでしょう。
自分という新たな情報を仕入れることを固執せずに楽しみながら、向き合えると良いです。
動画型
動画型の人はもはや色や形では見えません。
なぜかというと「色」や「形」といったアウトプット方法では表現の取りこぼしをするからです。
そのため、ストーリーとしてその人を表した動画が頭に流れます。
例えば、
カップルの横を誰かが新幹線並みのスピードで駆け抜けて、
「カップルがさっきなんかすごかったね」とお互いに話しながら、
「でも、なんだったんだろうね?」と首を傾げる
なんてものがあります。
これは、鑑定している人が強烈なほどの理解力と翻訳力を有し、颯爽と現れて実力を見せつけるも急にいなくなる。そして、その凄さを「凄い!」という言葉でしか相手は表現できなくなるような人である。ということを表現しています。
このように動画型の人は物語で持って伝える形になります。
結局のところ、情報って色だけじゃないわけで・・・
最後の動画型で話したように、人のことを「色」や「形」としてだけで見るのは限界があります。
わかりやすいもので基準を統一化するということは外れてしまうものを無かったことにすることと同じです。
これは紅葉、夏の緑の葉、枯れて落ちた茶色い葉を同じ正方形で型抜きして違いを発見しようとするようなものです。
葉にもそれぞれの形や厚み、重さ、そして背景があるように、
同じ人間という種族でも統一化できないものがたくさんあります。
人によって感じるものが違うのは当たり前なのです。
今の私には色だけでなく、形、文章、単語、映像、物語など
様々な形態で感じ取れるようになりました。
価値提供への焦りが「伝達可能性を上げること」を優先させてしまった
思い返すと、私の感受性のようなものは人に「凄い!」と言ってもらえるようになってから、段々と精度が落ちていっているような印象を持ちました。
自分でも原因がわからず、そして、改善ができないことがもどかしい時期が半年間ほど続きました。
そして、ついにその原因がはっきりとわかりました。
それが「言葉への縛られ」と「価値提供の誤解」でした。
実は「オーラ」という言葉を使い始めたのは私ではありません。
私が「人を色で見る」と言った時、
人から「それってオーラが見えるってこと?」
と言ってもらえたことから使い始めた言葉です。
そして、私自身が「オーラ」という言葉に縛られ、
何よりもそれ以前に「色が見える」という言葉に縛られていたのです。
人を見ていくにつれて「色を見ること」が唯一の選択肢であるように思い、
不安と焦りと恐怖が生まれるようになりました。
マイナスな感情がさらに視野を狭くし、私の感じ取れる情報が減り、段々と精度が落ちていったのだと気づきました。
そして、「価値を与えること」に縛られたことも、このマイナスな感情に拍車をかけました。
「相手にギブをすること」「相手の求めるものを考えること」
これは私が物販で副業をしていた時に学んだビジネスの鉄則でした。
しかし、この鉄則が私の思考を苦しめることになりました。
相手の求めるものを考えると、自分の提供したものに価値を感じるかわからなくなる。常に相手の反応や態度が気掛かりになる。
そんな負のスパイラルがずっと続いていたのです。
「色」は人から求められている明確な答えでした。
だからこそ私はそこに執着しました。
そして、相手への価値提供を考えて「伝わる可能性を上げること」を優先しました。
それが全てを色として表現することだったのです。
その傾向は回数を重ねるごとに増していき自分の首を絞めていく結果になりました。
私にとって、価値提供しないこと「が」最大の価値提供
言葉への縛られ、価値提供の誤解
これらが外れていった理由はあるセッションからでした。
そのセッションを通していく中で気づいたのは
「ただ与えられた役割に、ただいることが価値提供になる」
ということでした。
これは私にとって衝撃であり、安心を感じながらも、脳はフラフラと揺れながら、崩れ落ちていきそうになることでした。
私にとっての「価値提供」という言葉は「ギブをすること」でした。
それが、完全に崩れ、
「何かをしようとしないこと【が】価値提供になる」
ということに完全に一致しました。
気づきを得てからは感じ取れる領域が一気に広がりました。
そして、「オーラが見える人」として活動し始めた時のような感触を得ながら鑑定をすることができるようになりました。
選べるものあるけれど、どうしようもないものもある
ただ存在していることが価値提供になる人もいる。
一生懸命に考えて作り上げて価値提供になる人もいる。
戦って勝ち取って何かを発することで価値提供になる人もいる。
人それぞれで、その選択は自分では選べないこともある。
同時に、
ただ存在しているだけで価値提供にしたい人もいる。
何かを達成して価値提供したい人もいる。
自分が勝ち取ったもので価値提供したい人もいる。
自分のどうしようもない「あり方」と
こうありたいという「願望」が一致しないとどうしても苦しくなってしまいます。
そんな時に一人で考えて、いろんな勉強すると
「稼ぐためには・・・」
「成功するためには・・・」
「人生を思い通りにするためには・・・」
なんて言葉に揺れ動くし、どんどん考えは固くなってしまう。
人間は最低限の利害関係だけのつながりの中でも生きていけるけれど、
もしも、常識に縛られて、自分自身の願望に縛られてしまうのなら、
誰かを頼ってみるという選択肢もあると思って欲しい。
自分一人では辿り着けない領域に自分を紐解くヒントが隠されていることもある。
理屈で考えたら無駄だけど、
無駄なものがないと豊かさと余裕は生まれないと思うから、
悩んでしまうときは少しでも外に目を向けることをしてみてもいいのかもしれない。