考えては修正を繰り返す
世界を未曾有の危機にさらしているコロナウイルスを前に、ほぼすべての人が何らかの形で事前に立てた計画を変更せざるを得ない状況だ。
社会の一員として責任ある行動をしなければ。外出自粛が促される中、厳格な規制がない僕たちは、自分だけでなく、社会の「最善」をも考慮して行動しなければいけない。これはとても苦しいことだ。誰に縛られるでもなく、自分で不要不急か判断しなければいけないからだ。
例えばスーパーのバイト。僕が働く会社は、店舗のほぼすべての人がパートかアルバイトである。人手が足りないという連絡が頻繁にくる。社会インフラ維持の観点から、僕が働く必要があると考えることもできるが、自身の感染リスクを鑑みると軽い気持ちでは判断しかねる。散々悩み、答えを見つけようとした。
考えて終わり。ではない。
バイトに行く判断をしようが、家にこもる判断をしようが、そこで考えを止めてはいけない。刻一刻と常識が変化している現段階において、情報を得てその都度考え、修正し続けないと自分なりの正しい答えを出し続けることはできない。一度考えるのを止めてしまったら、それは、社会のことを考えずに、無責任で軽はずみな行動をしているのと同じだ。決断をするのと同じくらいに、振り返って修正することが大事だ。
考え続けること、修正し続けることが答えのない問題の答え。
昨年から少しづつ、長岡研究室に参加し、答えの出ない問題についてたくさん考えて悩んできた。その度に、自分なりの「better」な答えを出し、修正しながら考え続ける活動をしてきた。この経験のおかげで、たとえ正解がなくても必死で答えをみつけようとし続けることに価値を感じるようになった。
長岡研究室での活動は、こんな迷いを延々とさせてくれる。知らなければ知らないでも生きていけたかもしれない問題について、頭を抱えて悩みまくっている。僕はこれまで、考えることから逃げてきた。難しいことを考えないように生きてきた。夏休みの読書感想文も、答えがでないからいつも書きたくなかった。
なぜなら、長く悩みつづけることが無駄だと思っていたから。
だけど、自分で深く考えて行動し続けることは、大変だけどその先に可能性が広がっていて、常に新しいことに触れられて、とても楽しかった。先が見えない程、新しい常識をつくる余地があるということで、不思議とこんな状況になっても不安より好奇心が勝っていた。考えることをやめないで新しいことに挑戦し続ける姿勢でいれば、寧ろこの先にわくわくを感じるくらいだ。
正解がないから、修正しつづけよう。
選択に正解は存在しない。だから失敗するかもしれない。だけど考えて修正し続ければ必ず前よりよい結果につながるはず。先の見えない状況ほど創造する余地がある。だから好奇心をもって挑戦し続けよう。