見出し画像

とも動物病院の日常と加納円の非日常

東京大空襲<転> 15


 「フィリップさん、ごめんなさい。
もう何年もありとあらゆるものが無い無い尽くしで。
コーヒーはおろかお茶の味すら忘れちゃいました。
本物とは似ても似つかぬものですが大豆を焦がして代用コーヒーを作ってみました」
「悪いですね。
カズ君。
こんな形で御邪魔しちゃって」
「いやー、お互い堪らないですよね。
僕も大学の一年まではボストンで過ごしてましたから。
それにこの顔でこの目と髪の色でしょ。
どっちつかずって感じで何だか色々と大変ですよ。
ロクなおもてなしも出来ませんが。
実はお袋がアイルランド系で今は妹と一緒にカルイザワという避暑地で抑留されちゃってますので。
お袋が作るシェパーズパイとジャケットポテトは絶品なんですけどね」
田山ジュニアは遣り切れないという感じで肩を竦めてみせた。
「ステーツに留まる道はなかったの」
「僕はそうしたかったんですけどね。
親父の研究内容が研究内容で、脅され賺され揚げ句の果ては泣き落としってやつでニホンに帰って来ることになったんです。
オヤジとしては若い頃から官費で留学やら研究やらをさせてもらっていた手前がありますからね。
我を通すわけにもいかず内心では辛かったと思います」
「それでですか。
母上もご一緒の帰国じゃさぞかし大変だったろうね」
「お袋の実家や親戚筋もお袋には、僕と妹を連れて戦争が終わるまでボストンに止まれと随分熱心に進めてくれたんですよ。
親父もそうしろと強く言ってくれたんですけどね。
お袋がアイルランド気質って言うんですか。
これまた頑固な人で。
何なんですかね。
親父も僕も妹も、お袋に引き摺られるようにして交換船で帰国ですよ。
帰国って言っても僕にとっての故郷はボストンなんですけどね。
ヤレヤレですよ」
田山ジュニアは屈託のない表情でカラカラと笑い頭を掻いた。
 スキッパーはとても笑える状況ではない彼の身の上話を聞いて思わずツッコミを入れたくなった。
カニファミでもこれはもう笑うしかないホモサピのどん底を理解できたのだ。
スキッパーはそんな境遇でも明るく振舞える田山ジュニアを、改めて変な奴だと思った。
スキッパーはもう一度しげしげと田山ジュニアを観察してみた。
そう言えば彼には最初に出会った時からあまり違和感を感じなかった、
そのことは彼の容姿と言葉にあったのだと改めて合点がいく気がした。
顔の彫は深いしクルーカットより短い髪は薄い茶色で目の色も灰色だった。
話す言葉は東部のアクセントで、レノックス少佐がただの田舎者に思える位に都会的な響きをもっていた。
 「君はその避暑地の抑留場にどうして行かなかったんだい」
「親父をひとりで放っては置けなかったし、学業も続けたかったのでトウキョウに残りました。
お袋もトウキョウでオヤジを手伝うんだって随分暴れてましたけどね。
共和国の人にも説得されて最後はシブシブ。
お袋は骨の髄までアイリッシュですからね。
まあ、ニホンじゃアメリカと違って学部から医学部に入れますからね。
幸いボストンで一年まで済ませてましたから医学部の予科に潜り込んで、今はニホンの学生ですよ」
「なんだか気楽そうに話してるけど、苦労も多いだろうね」
「まあ、向こうでも生まれた時から毛色の違うやつって感じでやってきましたからね。
偏見や差別なんてどこに行ったってついて回ることです。
ボストンにだってやな奴もいればいい奴もいましたよ?
程度の差はあれニホンだって同じですよ。
幸い子供の頃から友達にだけは恵まれるたちでして、仲間とつるんでればどうってことないですよ。
今じゃ動員をやり過ごそうってんで親しい友人を誘って、学生兼親父の助手みたいなことをしてます。
空気読んで時には「鬼畜米英っ!」なんてスローガンも叫んじゃってます。
こう見えても結構うまく立ち回ってますよ。
我ながらたくましいものです」

いいなと思ったら応援しよう!