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ロージナの風:武装行儀見習いアリアズナの冒険 #43
第四章 遭逢:4
船を後にしてからのわたしたちを、ずっと観察している人がいたならね。
さぞや面白い見世物だったに違いないよ。
田舎から出てきたおのぼり然とした少女ふたりのやりとりなんて、出来の悪い掛け合い漫才にしか見えなかったろうと思う。
けれどもわたしは絶対忘れない。
はたから見れば滑稽なほどに大はしゃぎしていたであろう十六歳のわたしと、わたしの腹心の友のことを。
忍び寄る戦いの気配も、仕組まれた呪いのような人生の意味も知らず、わたしはただただ“今この時”が楽しくて嬉しくて仕方がなかった。
自分たちの未来を爽やかな高原の青空の彼方にしか見て取れなかった。
あの日のことを。
わたしは絶対に忘れない。
中央郵便局はわたしたちが生まれて初めて目にする、それはそれは天井の高い巨大な建造物だった。
トランターにだってこんなに大きな建物はなかった。
あっちの街角こっちのお店と、わたしたちはまるで酔っぱらいのようにふらふら彷徨いながら郵便局を目指した。
そうしてようやくたどり着いた終点で、わたしたちはその威容を目にしたのだ。
わたしたちは半ば口を開けて、まるで小山でも眺める風情で中央郵便局の局舎を見上げたものだ。
わたし達の目線の先に鎮座しているのは、超巨大な建築物だった。
それは、大災厄以前の文明を想起させるモニュメントと言い切っても、決して言い過ぎではない代物だったろう。
惑星郵便制度は、世界中に展開した郵便局のネットワークを通じて、実に様々な事業に取り組んでいた。
郵便を大災厄からの復興の手掛かりと考えたアーサー・レイ・デュシャン以下十人の同志が社中を旗揚げしてから千年。
ポストマンの最重要任務は常に手紙や小荷物の配達であり続けた。
しかし社会の発展と平和は商取引を活発にして貿易を盛んにする。
勢い、惑星郵便制度も近年は、重量のある貨物を輸送する仕事の増加が著しくなっていた。
惑星郵便制度に依頼すると、通常の商船に比べて料金はかさむ。
けれども下手な軍艦より戦闘力の優れた郵便航空船や航海船を、空賊や海賊対策に期待する荷主も多かったのだ。
海上空上保険も割引で利用できたしね。
惑星郵便制度は郵便網を活用した為替業や先物取引、金融投資業、銀行業、更には航空航海に関連した保険業にまで手を広げた。
そうして今や、文字通り惑星ロージナをまたにかけて、一大事業を展開するまでになったのだ。
加えて惑星郵便制度をその根幹で支える、ポストアカデミーとその関連組織がある。
ポストアカデミーは惑星ロージナでも屈指の教育研究機関であり、あまたの独立行政機関や各地の学校に大きな影響力を持っていた。
事実、ポストアカデミーは惑星ロージナの文明再興をリアルに牽引してきた、学問の府でもあったのだ。
それが決して過言ではないのは、研究業績に目を向けて考えてみれば誰にでも分かることだった。
グリーンゲイブルズのコップや氷、それから歪みの無い鏡、商店街の大きなショーウインドウなども、地味で目立たないが研究の成果で生み出された産物に違いない。
惑星郵便制度は、社中を立ち上げた同志の足と熱意だけが頼りだった黎明期から、志の高い組織だった。
デュシャンの掲げた理想をむねとし中立公正を厳格に守り、政治的には終始沈黙を守り続けて千年の時を漕ぎ渡ってきたのだ。
しかして新たな千年紀に入ったその実体はと言えば、志を同じにする同志による清廉な結社と言う訳には、さすがにいかなくなっていた。
社中は強大な経済力を持った物流と情報、金融を支配する巨大組織に成長しており、現時点で最早独立国といってもよいほどの影響力を隠し切れなくなっていた。
わたしは後年、アーサー・レイ・デュシャンが郵便業務の未来に、ある明確な目的を定めていた事実を知る。
惑星郵便制度は、大災厄以降の歴史の裏面で、目立たぬように細心の注意を払いつつ、ある計画的意図をもって活動していたのだ。
そうした履歴に、わたし自身がやがて我が身を持って関わることになるだろう。
能天気な美少女アリアズナは、もちろんこのことをまだ知らない。
組織の幹部職員たる通称ポストマンは、ここプリンスエドワード島にあるポストアカデミーで、断続的に十年以上にも渡る教育を受けてから正規の任務に就く。
ポストマンは公正中立を生涯にわたり全うすることを求められる。
そのためポストアカデミーに入学を許された志願者は、故郷を捨てる誓いを立てることが慣例になっている。
新入生がポストアカデミーと交わす誓約は、古代の地球なら国籍を捨てるということと同義だろう。
ディアナはアナポからポスアカへの志望変更を考える時、そこに一番のためらいを感じているようだった。
しかし政治的中立を保ちながらも郵便業務完遂の為、地域間の紛争を可能な限り調停して回る惑星郵便制度の誠実は本物に思える。
そんな郵便局の本気を受け入れてしまえば、了見の狭いケチな郷土愛を引きずる悩みなど、雲消霧散してしまうことだろう。
調停に携わるポストマンの誠実そうな顔が、例え事業を円滑に進めるための方便だったとしてもだ。
軍人を養成する海軍兵学校という選択に含まれるなにかモヤッとした屈託・・・。
戦争のノウハウを学ぶ過程で、遅かれ早かれ心の中に巣食うに違いない黒っぽい熱の始末については、深く考えずとも良くなるのは自明だった。
クララさんの演説を引用するまでもなく、本来惑星ロージナに国境なるものは存在しなかったのだ。
惑星そのものを故郷と心得るポストマンになることができれば、住まう地域が異なるもの同士が互いに抱く悪意から自由に成れる可能性は高い。
いやそうでなければポストマン同士、危険を顧みずに空や海を巡る旅の仲間として、互いに命を預け合うことなど不可能だろう。
十年以上に渡る教育期間の意味は、学生を郷土のしがらみから解き放ち、惑星ロージナ人としての自覚を植え付けるためにあるに違いない。
わたしはそう考える。
『・・・ポストアカデミーの学生時代が長ければ、キャベンディッシュやシャーロットタウンで人生の楽しさも存分に学べちゃうに違いないよ。
そうすりゃどんな人間だって、ナショナリズムなんて言う益体もつかない塩気なぞは、スコーンと頭から抜け落ちちゃうさ。
多分ね』
本当にそうであるならば、ディアナも純粋な気持ちで、空と海への憧れを充たせるはずだ。
『まあ、ことはそう単純ではなかったのだけれどもね』
「たっかい天井だねー。
凄いねー」
わたしが感嘆の声を上げると、ディアナがボソッとつぶやいた。
「もっと凄いのは照明」
「えっ?」
「電気」
「えっ、ええっ??」
ディアナはため息をついて、いかにも頭の悪いアリーにも良く分かる様に解説します、と言う体で説明を始めた。
「電灯がついてる。
プリンスエドワード島では、主にガス灯を使っていると武装行儀見習いの為の帆船生活には書いてあった。
でもあれはガス灯じゃない。
あの照度と安定した光。
電灯に間違いない」
ディアナは天井からいくつもぶら下がるシャンデリアのような照明装置を指差した。