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とも動物病院の日常と加納円の非日常

東京大空襲<転> 3

 アリゾナに来て戦場の、それも最前線にいた緊張感は消えた。

知り合った小僧どもの死に心を痛めた日々が、嘘のように感じられる。

ところが戦場だったイングランドにはあった気を紛らわす環境がここには無い。

スキッパーにとっては人付き合いが暇潰しになった。

 イングランドでの後半戦以降、消極的だったホモサピとの関りが、アリゾナに来て変わった。

スキッパーは再び若いホモサピ達と多くの関りを持つようになったのだ。

作戦任務の過酷さを知らない若輩のホモサピ達に囲まれる。

そのことで、スキッパーにも少しく心境の変化が訪れたのだろう。

スキッパーのイングランド時代を知る少佐や中尉にとっても、傍目で見ていて分かり易い変化だった。

曰く、スキッパーは無愛想な犬から物見高い犬へと変身を遂げた。

ボール投げや散歩のお供すら、少佐以外のホモサピにさし許すことにしたのだった。

 この頃のスキッパーには変な確信が芽生え始めている。

激戦のヨーロッパ戦線をこうして少佐のクルーと共に生き残ってみるとどうだろう。

最近になって未帰還の若いホモサピ達の事が、妙に気にかかるようになっている。

それはまるでのどに刺さった魚の小骨に近い存在感だ。

中途半端な思い出は思い出がまるでないより質の悪い悔いとなる。

それが、喉の小骨について考え抜いたスキッパーの出した答えだった。

先行き取り返しがつかないと分かっていた。

そうであるのに、死に行く小僧供をなおざりにしてしまった。

思い出に傷付きたくない。

そんなスキッパーの怯懦は、後悔の念となっていつまでも心を苛み続ける咎となった。

スキッパーはそのことに気付いてしまったのだった。

 後悔が喉に刺さる魚の小骨になる。

ホモサピはいざ知らず、カニファミの精神衛生にとって真によろしくないことは明らかだった。

そこでスキッパーは、ホモサピとの交際方針を変更することにした。

訓練が終われば続々と死んでいくであろう小僧供の記憶を、一人でも多く脳裡に刻み込んでやる。

そうして彼らのことを時折思い出すことこそが、最後まで生き残っていく自分の使命である。

スキッパーはそう思い定めたのだった。

この決意は妙な具合にスキッパーの意識へ追い込みをかけた。

若いホモサピ達の事を記憶に刻む作業を続ける限り、戦場に出ても自分が死ぬことはあり得ない。

スキッパーの決意はそんな根拠のない確信となって、彼の心の内にあり続けることになる。


 スキッパーにとり永遠と思えたアリゾナ暮らしにも終わりの時はきた。

訓練と部隊の編成を終えた少佐の飛行中隊は、新たな任地である太平洋へと機首を向けたのだった。


 地獄の業火とはこのことかとスキッパーは思う。

灯火管制の元、べったりと広がる暗闇のそこかしこから紅蓮の炎があがる。

最初は頼りない炎だった。

だが炎はその版図を点や線から面へと拡大して行き、やがて猛烈な火勢と成った。

業火は地獄の冠が相応しい禍々しさで、トウキョウの街を文字通り焼き尽そうとしている。

 少佐のB29は昼間爆撃ではあり得ない低空飛行でトウキョウに進入した。

B29は夜の闇からもそれと分かる大きな川に沿って飛行する。

そして未だサラマンダーが解き放たれていない街中の暗がりを捜すのだ。

火災による上昇気流で機体が大きく揺さぶられる。

街を構成する数多のもの。

建材や生活に必要な日用品の類。

本や玩具もあったろう。

それらが燃えて発生した臭気と微かに混ざった油脂と蛋白質の焼ける匂い。

そんな悪臭が空調装置を通して与圧キャビンに流れ込みスキッパーの鼻を衝く。

炎に焼かれるホモサピの恐怖と苦痛ときたらどうだろう。

空の上まで伝わってくる悲嘆と慟哭が、嗅神経を経て脳内で色と言葉に変換される。

臭いを介したホモサピの悲鳴はスキッパーの魂を手ひどく打ちのめす。

機内のホモサピに取っては、本当に微かな異臭だったろう。

それでも少佐はなにも言わず空調装置のスイッチを切った。


ほぼルーチンとなった太平洋での爆撃任務はヨーロッパと同様、昼間に敢行されることが多かった。

少佐たちの部隊はフジヤマと名付けられた裾の広い美しい火山を目指して海を越えた。

ニッポンと呼ばれる大きな島国が攻撃地だった。

B29は島のあちらこちらに点在する目標を、まるで雑草を毟る様に無造作に爆撃していった。

 B29の機内環境はB17のそれとは違って比較にならない程快適だった。

キャビンは与圧されていて巡航高度に上がっても耳が痛くなることがあまりなかった。

なにより暖房が効いていて、ヨーロッパ上空での寒気吹き荒ぶ機内と比べればまるで別天地だった。

 ニッポン上空での迎撃戦はヨーロッパ戦域で経験した程激しくは無かった。

それでも一度出撃すればそれなりの犠牲が出た。

ニッポンの戦闘機や対空砲火は数も少なく技量も低劣で、当初はベテランの少佐ですら多少は舐めてかかるところがあった。

だが爆撃後、基地までの帰投に要する洋上飛行距離は長大だった。

迎撃戦で傷付いたり途中で故障を起こした僚機には、基地までたどり着けないものが続出した。

ヨーロッパとは一味も二味も違う激戦の日々が続き、やがて少佐やスキッパーは一九四五年三月十日の夜を迎えた。

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