垂直少年と水平少女の変奏曲〜加納円の大いなるお節介と後宮の魔女達〜
第15話 練馬の空はショーシャンクと同じくらい青い 14
直情径行の筋肉ダルマとばかり思っていたぶっさんは、お世辞にも善意の人とは言えなかった。
しかし話が通じない森要の様なサイコ野郎と言う訳ではない。
ぶっさんは悪事をなすことを目的に犯罪を犯す極道ではない。
思いついた目的を遂げようとすると、それが結果的に違法行為となり犯罪を構成してしまうタイプのワルだった。
円のような一般人にしてみれば『目的の立て方がそもそもおかしい』のだと、雑談の際にぶっさんに物申してみたこともある。
だがぶっさんは破顔一笑。
「悪気はねーんだよ」
嬉しそうな顔で軽く小突かれて終いだった。
ぶっさんは円を連れ歩き、事あるごとに舎弟の鬼畜ぶりを面白おかしく吹聴して回った。
当人的には気の利いた冗談のタネを見つけたつもりらしかった。
ぶっさんが円のどこを気に入ったのか。
それはついぞ分からず仕舞いだった。
円がぼやくように主張していた冤罪については、はなっからガセであることを疑いもしなかった。
そう考えていたと後から聞かされた。
掃除は行き届いているはずなのに微妙なアンモニア臭が鼻につく便所で連れションをした時のことだ。
「んなことするヤツが噂に聞く毛利ルーシーに懐かれるわけないわな」
ぶっさんが笑うのを円は少々複雑な思いで聞いたのだった。
法を破ることなどへとも思わないぶっさんではある。
「俺らみたいなチンピラならともかく、前科のない堅気のお坊ちゃんなんだからよ。
おめーはすぐに娑婆に戻れるさ」
そんな調子で、変なところで司法を信用しているぶっさんの風情が円には今一つ解せない。
「俺と来た日にゃ、今回はドジを踏んじまって特少行きも免れそうにねーけどよ。
二十歳過ぎてまでバカやってムショに放り込まれるつもりなんざねーさ。
将来は手に職をつけて、可愛い嫁さんをもらってな。
いっぱいガキをこさえるんだ」
肩を竦め、そんな風にうそぶくぶっさんの明るい展望を聞かされる。
円としては『ハッ』と胸を突かれる思いである。
仲間も恐れる粗暴なツッパリが、円には思いもつかぬ不思議な人生哲学を軸にして未来を見据えている。
円は素の自分がスクリーンでおどける植木等のように思えてきてちょっと辛い。
映画の中と違ってプライベートでは真面目な常識人らしい植木等や、狂猛粗野の陰に隠れたぶっさんの渋い人生観に及ぶべくもない。
円は表も裏もない自分の薄っぺらい人間性が恥ずかしくなったのだ。
「秋の日のヴィオロンのためいきの ~~」
突如、塀の外から大音声が響き渡る。
「なんだぁ」
ぶっさんが会話を中断して辺りを見回す。
「妙なお経だな」
『ほんとに来たよ』と円は内心で大きく動揺していた。
「んっ。
カノーおめーなにあせってるんだ?」
さすが、小学生の頃から手の付けられない悪ガキとして、数々の修羅場を潜り抜けてきたぶっさんである。
経験した修羅場の割には、検挙回数が異常に少ないと評判のぶっさんでもある。
勘の良さは伊達では無い。
「ぶっさん、今まで何かとありがとう。
じゃあまたね」
ぶっさんはキツネにつままれたような顔をする。
だがすぐに何事かを覚ったようにニヤリと男くさい笑いを見せる。
「身に染みてひたぶるにうら悲し~~」
ラウドスピーカーの性能が良くないせいだろう。
どうやら雪美のものらしい声が拙い浪花節みたいにひしゃげて聞こえる。
お経のような節回しとなり、せっかくのベルレーヌが耳障りな雑音となって聞く者の聴覚を苛んだ。
円は事件以来、久しぶりに力を使った。
重力を断ち切りいきなり上昇した。
ぶっさんをはじめとして周囲の人間は、円が瞬時に姿を消したように感じたろう。
不思議なことにひとりとして空を見上げるものはいない。
『澄んだ秋の大気を切り裂いて垂直上昇するこの感覚こそが僕の知っている自由だな』
円は独り言ちる。
身体の中に溜まった悪い澱の様なものは、円の加速についてこれずどうやら地上に取り残されたみたいだ。
心と体が羽の様に軽くなったと顔が綻んだ刹那。
パラシュートにぶら下がる天使が円に向って手を差し伸べるのが見えた。