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ロージナの風:武装行儀見習いアリアズナの冒険 #150

第十章 破船:18

 「フレッチャー、どうして?

いや、それより医療班だ!

軍医だ、軍医を呼んでくれ!」

フレッチャー海尉を案じて前に出ようとするチェスターを、レベッカの背中が無言で押しとどめた。

「・・・艦長、無用なことです。

副長・・・。

自分を止めて下さり・・・ありがとうございました」

フレッチャー海尉は薄く目を開くと柔らかく微笑んだ。

「・・・これでいいか?

ジョン・スミス・・・いやヤマモト。

・・・貴様に命じられた俺の役どころは・・・一応は遂行して見せたぞ。

・・・ありがたいことに見事失敗したがな」

フレッチャー海尉は最後の力を振り絞る様に叫んだ。

それは先だって彼が及んだ凶行からすれば、奇妙なことだった。

だがなぜか、フレッチャー海尉の声は、安堵と満足の響きをもった告発として皆の耳に届いた。

人垣の一角で罵声が飛び、一人の若い水兵が険しい顔付をした同僚に両脇を固められて円陣の前に引き出された。

「まいったな、フレッチャー海尉には。

勘弁してくださいよ」

こうした状況にも関わらずどこか吹っ切れた笑みをたたえた、ジョン・スミス・ヤマモト水兵だった。

医療班が駆けつけてフレッチャー海尉への応急処置がはじまった。

チェスターの悲痛とも言えそうな苦し気な表情が少し緩んだ。

「ヤマモトくんか。

みんなの見ているこの場で何が起きたのか説明してくれるかい」

「それは・・・。

尋問もせず調書も取らず、今ここで俺に聞くところですか?

・・・ったく、フレッチャー海尉といいあんたといい」

ヤマモトは屈託のない笑顔を見せた。

ふと、子供の様に澄んだ瞳でチェスターの目を覗き込んだ。

「・・・まぁ、いいです。

御庭番としちゃご法度中のご法度なんですけど・・・歌っちゃいましょう。

自分は大目付二課潜入工作班所属のジョン・スミス・ヤマモト陸尉(仮)です。

本名を明かしちゃうと、後で皆様に色々と差し障りが起きてきますので御容赦を

うちは代々こういう仕事をしてきた家系でして、半ば家業なんですよ。

ご承知かとは思いますがお庭番は二人一組で仕事をします。

俺がケースオフィサーで、フレッチャー海尉がエージェントってことになります。

実はフレッチャー海尉の妹さんは、かなり以前から二課の監視下にありましてね。

海尉がインディアナポリス号に配置された時にですね。

妹さんの思想的不都合には目を瞑るろうじゃないかと約束しまして。

有事専任のモグラとしてリクルートしたってことです。

モグラには通常まず出番がありませんからね。

先日俺が接触するまでは、ご自分の立場をすっかりお忘れになっていたかと。

俺がフレッチャー海尉のケースオフィサーであることを明かした時にはお気の毒に。

海尉は真っ青になってしまって、言葉もありませんでしたよ。

課長には、前々から『脅迫による協力者はいざと言う時に使い物になりませんよ』って何度も上申してたんですけどね」

ヤマモトは、いっそあどけないと言えそうな笑顔を浮かべた。

「僕の暗殺を企てたという事かな?」

チェスターも自分の命が狙われたばかりだと言うのに、のほほんとした表情で首を傾げた。

「はい。

ご明察です。

事前命令で示されていた該当条件が、この度全項目揃っちゃいましてね。

満願です。

何とか見逃す手立てはないもんかって、色々屁理屈を並べてみたんですけどね。

次から次へと条件が揃っちゃいまして。

・・・こう言っちゃなんですけど、ぼんくらチェスターは色々な意味でマークされてますよ?

政治的傾向で中立を装うってのは、むしろ敵対する人間より警戒されるんです。

とぼけた顔してるのに手柄は沢山立ててるもんだから、軍政畑の小役人からは嫉まれちゃってますしね。

艦政本部の無能な坊ちゃんや嬢ちゃんの何人かは、艦長に逆恨みのメンヘラ患ってますよ?

お偉いパパやママ経由で艦長を何とかしろって、色んな無茶振りを現場に下ろしてきてます。

ホント、上の連中は揃いも揃って馬鹿ばっかりです。

連中の手先だった俺が言うべきことじゃないですけどね。

長生きしたかったら艦長はもっとぼんくらに徹した方が良いかと。

艦長のふたつ名がカミソリチェスターだったら、とうの昔に不名誉除隊かこそっと殉職しちゃってる所です」

レベッカが同田貫の切っ先をヤマモトに向けた。

遠慮のない殺意がレベッカから放たれ、周囲の空気がひんやりと冷たくなった。

「副長そんな怖い顔で睨まないで下さい。

俺もできればケツをまくっちまいたかったんですよ?

大目付二課って任務の失敗はお仕置きで許してくれます。

だけど、組織を裏切ると現場の俺たちを処罰するだけでは、済ませてくれないんですよ。

こんな俺にだって愛する家族くらいいるんですから。

そこんとこ察してください。

フッレチャー海尉には気の毒しました。

妹さんをすごく可愛いがってましてね」

ヤマモトが悲しそうにため息をついた。

「ここのところ二課も予算の関係でリストラが進みまして。

俺も今度の航海が最後の任務になるはずでした。

無事帰港できれば『この家業も俺の代で終わらせるんだ!』って思ってました。

あっ、留学の推薦状ありがとうございました。

無駄になっちゃって正直残念です。

・・・フレッチャー海尉じゃないけど、俺も任務に失敗してちょっとほっとしてるんですよ。

俺とフレッチャー海尉は、しがらみを断ち切れなくてここで幕引きです。

ヨーステン艦長や艦の仲間達には本当に世話になりました。

任務を忘れるほど楽しい毎日でした」

ヤマモトは『みんなすまなかった!それからありがとうな!』と声を張り上げた。

「インディアナポリス号のお庭番は俺たち二人だけです。

もう紐はないはずです。

存分に働いてください。

・・・一介の学究ジョン・スミス・ヤマモトとして生きていくのもおつかなって・・・思っていたんですけどね。

うん・・・。

結構苦しいじゃないか。

一瞬で楽になるだなんて・・・。

・・・やれやれ」

「あっ、いけない!」

取り押さえられたヤマモトの身体から力が抜け、がっくりと頭が下がった。

両脇の水兵が慌ててヤマモトを横たえ顎をこじ開けたが、彼の瞳は既に開き切り呼吸も止まっていた。

フレッチャー海尉の救命に当たっていた医療班も動きを止め、小柄で童顔の軍医がチェスターの方に視線を向けて哀し気に首を振った。

軍医の長いポニーテールが左右に揺れ、レベッカが同田貫を鞘に納める乾いた音が事の終わりを告げた。

 インディアナポリス号に突然降って湧いた悲劇は、乗員の決心を二分した。

フレッチャー海尉とヤマモト水兵の振る舞いは、お庭番としての任務を、わざと失敗させたようにしか見えなかった。

この悲劇は、チェスターの演説に共感を覚えた者にとり、本当の敵は誰なのかを改めて強く印象付けた。

演説後、チェスターの考えに否定的意見を持つものは皆無だった。

だが、己の意志とは無縁のところで、立場の両立を図るためには死を選ばざるを得なかった。

そんなふたりのことを、深く思いなす者は多かった。

ふたりのことを我が身に引き比べて、恐怖や嫌悪を感じる人間も少なからず存在した。

真っ当な人生を歩んできた者であるなら、無理からぬところだったろう。

 理想と現実を秤にかけて、天秤の傾き加減で利害得失を見極め、その後の行動を決定する。

そうした人として至極当たり前の振舞いは、穏やかで起伏の無い人生を篤実に演じ切るためには、必須の処世術だろう。

それは正しく善き人が取るべき行儀と言えるかもしれない。

 一方、理想を追い求めて生きる、視野狭窄気味な渡世はどうだろう。

実人生を疾風怒濤の勢いで突き進む世過ぎは物語的には美しい。

だが、平凡な日常を営む家族や友人、恋人にとって、そんな人間は最早悪党の名こそ相応しい。

 この後、善き人たちは退艦を選んで市井へと立ち戻り、モブとしての穏やかな生涯を送った。

チェスターに付き従った元気の良い悪党共は、ロージナの歴史にその名を残すこととなる。

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