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とも動物病院の日常と加納円の非日常
東京大空襲<結> 2
「スキッパーよ。
ちょっと一休みしようか」
僕はバス停近くの路肩に、ちりちりとタイヤを鳴らしながら車を寄せた。
助手席では相棒がダレている。
路面が荒れた田舎道の左右は、だだっ広いひまわり畑だった。
畑はクレヨンで描いたような黄色と緑の色彩に埋め尽くされている。
茎と葉と花が作る丈の高い隊列の間から、熱くて湿った空気がとろりと流れ出てくる。
夏至から一月半程経って少し高度は低くなった。
けれども、お日様はまだまだ狂暴な怪気炎を上げ続けている。
おんぼろ車ながら、クーラーがそれなりに効いた車外に出るのは嫌なのだろう。
スキッパーは迷惑そうな表情で額に皴を寄せて何か言いかける。
だが僕がエンジンを切ってしまったので、本当に渋々と言う体で車から降りた。
「そう嫌そうな顔をするなよ。
これでも僕は獣医だぜ。
犬が暑さには滅法弱いってことは承知してるよ?
日向に居ろなんて言わないさ」
僕は傾きかけた掘っ建て小屋みたいなバス停の影にスキッパーを誘う。
魔法瓶に入れてきた氷入りの冷水を、彼の為に持参したステンレスのフードボウルに注いでやった。
バス停の風雨にさらされた杉板壁には、ボンカレーを宣伝する松山蓉子やらアース渦巻を色っぽく薦めてくる由美かおるが張り付いている。
彼女たちは半ば錆び付いてはいるものの、見ようによっては鑑賞の余地がある笑顔を振りまいている。
その傍らで、オロナミンCを手にして眼鏡をずらした大村崑は、ただただ暑苦しいだけだった。
スキッパーは仕方がないなと言う調子で「わふっ」と一言愚痴を垂れる。
そのくせ不機嫌を表明した割には美味しそうに水を飲み始めた。
僕はじりじりと焼けつくような陽射しの下に出て、水色に倦んだ青空を仰ぎながら延びをする。
オーブンの中で焦げる鶏に共感しつつも開放感がある。
車の運転で制限された動きしかできなかった手足や腰の筋肉が気持ち良さそうに伸縮する。
長時間の運転で生じた痛みを伴った凝りがほぐれていくのが心地良い。
同じ東京郊外の多摩地区とはいえ、武蔵山から五日市はいかにも遠く感じた。
とも動物病院から小一時間は掛かったろうか。
お盆が近いとはいえ週日の幹線道はそれなりに込んでいた。
すいすいドライブと言う訳にはいかなかったのだ。
一般道にサービスエリアはない。
僕としては目的地に着く前に、一息ついて気合を入れたかったのだ。
僕にとって五日市と言えば小学生の頃、秋川渓谷に日曜学校のサマーキャンプで訪れた。
その程度の縁しかない場所だ。
その馴染みのない土地にある見ず知らずの家を、これから訪ねることになっている。
よそ様を訪なう苦行など往診で慣れっこのはずだ。
だが肝心要である訪問の理由を訪問者たる僕にも、うまく説明できないもどかしさがある。
そのもどかしさが憂鬱な気後れの出所だった。
改めて頭の中を整理しつつ、サニーカリフォルニアなんて気恥ずかしい名をぬけぬけと自称する黄色いボロ車にもたれかかる。
ボンネットは目玉焼きが焼けそうなくらいに熱い。
陽炎の向こうで足を上げたスキッパーが用足しをしている。
最後の道行に戻る頃合いだった。