ロージナの風:武装行儀見習いアリアズナの冒険 #213
第十三章 終幕:21
「・・・なんということ。
まさか削除者要件が発動してしまっただなんて・・・」
ケイコばあちゃんの茫然自失というか惚けた顔を生まれて始めて見た。
「ああ・・・あなたがそこまで追い詰められていただなんて・・・策を誤った。
完全に私の失態だわ。
本当に本当に生きていてくれてよかった。
・・・無事でいてくれてありがとう」
信じられないことにケイコばあちゃんは涙ぐむと、動揺を隠しきれない様子で席を立ちわたしを胸に搔き抱いた。
震えながら強くわたしを抱きしめるケイコばあちゃんだった。
彼女がそのときすすり泣いていた様な気もするが定かではない。
ケガをしたわたしを見てもまったく平気の平左だったケイコばあちゃんがどうしたことだろう?
『まっ、いっか』
ケイコばあちゃんの胸にわたしの顔面が押し付けられたわけだが、さっき号泣しながら擦り付けてやった自分の涙と鼻水が妙に生暖かい。
己が分泌物ながら少しキモい。
それにしてもだよ。
今日は驚かされることが多すぎる。
わたしの心が持たされている一生分のびっくりの内、1/3位は使ったように思う。
息苦しかったけれど、しばらくそうやってケイコばあちゃんのうわ言みたいな呟きを聞いていた。
なんだかそのときのケイコばあちゃんは、いつも優しいディアナのおばあちゃんみたいに、普通のおばあちゃん過ぎてなんだかこそばゆかった。
ケイコばあちゃんもケイコばあちゃんなりに、色々無理しているのが分かってしまった。
それでも積年に及ぶわたしのわだかまりが、そう簡単に解けるものではないようだった。
いつも自信満々で、正しい心を使って真正面を見つめているケイコばあちゃん。
わたしを妹扱いしている内はその姿勢を変えることはないだろう。
ケイコばあちゃんがいつか“孫としてわたしを見る”。
そんなディアナのおばあちゃんみたいな優しい目ができる日が来たとしたら、それはケイコばあちゃんの大願が成就した暁のことに違いない。
一体全体どんな大願なんだろうねえ。
・・・とにかく、ケイコばあちゃんが取り乱すこの振る舞いは鬼の霍乱、ちょっとした気のゆるみ。
無かったことにして差し上げるのがわたしの務めだろう。
武士の情け、惻隠の情ってやつ?
仕切り直し?
しばしの花摘みタイムの後ケイコばあちゃんが戻るまでに、今度はわたしがお茶を入れた。
ハナコおばちゃん仕込みの腕前を久々に披露した。
化粧室から戻り再び話を始めたケイコばあちゃんは、普段と変わらないむじな屋のクールビューティ。
ケイコさん以外の何者でもなかった。
「あのとき桜楓会のご老人方に会いに行ったのは、さっき話したように。
まだ少年だったチェスター君に会うついでだったの。
だからバーサーカーの話は、つい最近桜楓会に召喚されて偶然聞き出したことよ。
それでオペレーションアリアズナを大幅に変更しなくてはならなくて、ちょっと手間取ってしまったの。
おかげであなたとの会合が、大幅に遅れることになってしまったわ。
一見すると人畜無害そうなすっとぼけた爺婆が、あきれるくらいな強欲振りでやらかしてくれていたわよ。
あなたに関する情報の値を釣り上げるのに余念がなかった。
人目の無いバックヤードでは元気な事、元気な事。
私もうかつだった。
もちろんお天道様に成り代わって私がお仕置きしたおいたわ」
暗い笑みを浮かべたケイコばあちゃんに、どんなお仕置きをしたのか聞くことはできなかった。
「結論から言えば、私としてはね。
審問の際に、桜楓会のお年寄が色々なものと一緒に垂れ流した、その荒唐無稽なお伽噺を受け入れることにしたわ」
「・・・色々なものを・・・垂れ流したのね」
垂れ流した色々なものとはなんだろう。
これも怖くて聞けなかった。
「そう、色々、色取り取りなもの。
それでね。
提示された証拠と伝承を総合すればよ。
現状そのお話に沿って事を進めた方が、あなたや私に係る人間の被る被害を最小限にできると確信できたの。
証拠については、別口でちょっと意外な関係筋からも仕入れることができてね。
それはもう証拠と言うよりは、疑いの無い事実として認めるしかないレベルの打ち明け話だったわ・・・」
「ちょっと意外な関係筋って?
おばあちゃんが白旗上げるなんて、それってどんな打ち明け話だったの?」
「それについてはまた後で。
この調子ならあなたにも話せるかしらね。
とにかくバーサーカーは実在すると言う仮定の下、私も行動することにしたの。
最大多数の最大幸福を目指してね。
だからといって、バーサーカーによる宇宙からの人類殲滅戦なんて荒唐無稽な話はどうなの。
それを本当に私が信じているかと言うと、それはまた別の話。
さっき話したようにね。
私の中ではあくまでも仮定の話。
最大限の譲歩として継続審議事案と言った扱いかな。
でもね、秘密は秘密。
くどいようだけど他言は無用よ」
ケイコばあちゃんは楽しげに笑いながらサラッと仰った。
それだけに彼女の剣呑な決意が、ひしひしと伝わってくるような気がした。
やんごとなきご令嬢のような笑顔で、引導をチラつかせる。
ケイコばあちゃんが得意とする、人心掌握術のひとつかと思う。
「・・・で、全てを知りあまねく支配する為に、桜楓会はすでにおばあちゃんの手の内にあると」
ケイコばあちゃんは、孫娘でも惚れ惚れする程の可憐ぶり。
それはそれは可愛らしい微笑みを浮かべ、少し視線を落としてはにかんで見せた。
歳を考えろよそれ!
心の中で突っ込んでみた。
「いやね。
アンったら。
手の内にあるだなんて人聞きの悪い。
私は手癖の良くないお年寄り達に引退をお勧めして、新しい会長に就任しただけよ?」
お年寄り達が何をやらかしたのかは知らないけれども、ベンサムが大好きなケイコばあちゃんは、同時に心底性悪なマキャベリストの様だった。
姉が亡くなった翌年、わたしという時限爆弾がこの世に生を受けた。
その結果として、ケイコばあちゃんは桜楓会から接触を受けて、トランターに呼びつけられるはめになった。
何度も召還を受けたらしいけれど、どうやらわたしが物心つくまでは、なんだかんだ理由を付けてバックレていたようだ。
当初はケイコばあちゃんの警戒網にも、桜楓会は引っかからなかったのだろう。
「私はね、当時音羽村で、あなたとの生活の場を構築するので手一杯だったの。
それでも桜楓会は本当にしつこかったのよ。
あなたが幼稚園に通い出したころ、トランターでチェスター君に会えることに成ってね。
ついでに桜楓会とも面通しをしたの」
「ハナコおばちゃん・・・お母さんのところで甘え放題だったあの時ね」
その時、ケイコばあちゃんが何をヨーステンに語ったのかは謎だし、尋ねても教えてくれはしないだろう。
けれども、あのヨーステンの苦悩を鑑みれば、どうせ禄でもないことだったに違いない。
「桜楓会の人たちと最初に会った時の印象は、口喧しいけど人畜無害な爺婆のグループっていう感じだったかしらね。
私としたことが、あの時は本性を見抜けなかったわ。
ところが今回のアレよ。
正直私も連中のことはすっかり忘れていたの」
ケイコばあちゃんとしても時期が時期だけに変だと思ったのだろうね。
進行中の作戦から一時離れて再びトランターにやって来てみればビンゴ。
大災厄とロージナ千年の歴史秘録。
その眉唾ものの真相とやらを、ケイコばあちゃんは思いも掛けず知ることとなった。
同時に、桜楓会と言う地味なサークルが、とんでもない情報を抱え込んでロージナの歴史を裏から操っていたことも判明したと言う訳だ
「こっちはクソ忙しいって言うのにまたもや召喚命令よ。
この私に命令?
『何様のつもり』って無視していたのだけれど、不用意にあなたの能力とコバレフスカヤの名前をちらりとね。
あなたの事情を知っているはずの無い連中が、索引者と禁忌の名前を脅しの種に使ったと言うわけ。
放ってなんかおけないじゃない?
オペレーションアリアズナは現場におまかせして、すぐにアレックスの坊やに早舟を出させたの。
爺婆を締め上げて吐かせたヨタ話の真偽はともかくとして、連中の世界政府気取りには呆れたわね」
そのまま捨て置く訳にもいかなかったと、ケイコばあちゃんは笑った。
もっとも桜楓会としては、ケイコばあちゃんにバーサーカーや裏支配の秘密を打ち明けるつもりなど更々無かったろう。
ケイコばあちゃんに言わせれば『調子に乗って変な欲をかくから自爆するはめになったのよ』とのことだからね。
桜楓会の気の毒なお年寄りたちはケイコばあちゃんがどんな人間であるのかを、完全に見誤っていたってこった。
ついでの駄賃と言っては何だけど、ケイコばあちゃんの事だから、桜楓会なるグループの神髄も隅から隅までずっずいーっと、徹底的に調べ尽くしたことだろうよ。
それこそ逆さに振って鼻血もでないくらいにね。
『私が桜楓会の新会長!』だなんて鼻息荒く大自慢だもの。
言葉を濁してはいたけれど、ケイコばあちゃんが既に組織を完全に掌握済みであることに、疑いの余地は無い。