とも動物病院の日常と加納円の非日常
東京大空襲<結> 16
「ヨーロッパでも。
太平洋でも。
自分たちの乗っている飛行機に犬を同乗させていたのね」
佐那子さんが素早くレポートに目を通しながら、呆れたという表情で目を丸くする。
「ヨーロッパでのB17<Schrödinger's cat>、太平洋でのB29<My Beloved Ophelia>両方に乗せていました」
「犬種はJack Russell Terrierで、呼び名はSkipperとありますね」
「軍歴に犬の話と言うのも妙なんですけど、レノックス少佐は撃墜された<My Beloved Ophelia>から唯ひとり生還した人間ですからね」
「と言うことはわんちゃん・・・そっちのスキッパーちゃんも少佐と一緒に助かったんですね?」
秋吉が、大きな目を見開いて、少女のように朗らかで嬉しそうな叫び声を上げる。
「レノックス少佐と一緒に落下傘降下して生き残った。
最初に接触した日本人に預けた。
と言うところまでは記述がある」
「OFUが、とも動物病院にスキッパーちゃんが居ることを知っていたのは、そういう経緯からかも知れないわね」
「明日、ともさんにはスキッパーを飼い始めた切っ掛けを、ズバリ聞いてみようと思っています。
レノックス少佐が最初に接触してスキッパーを預けた日本人って、ともさんの知り合い、もしかしたら親戚かもしれませんから」
こんな時は沈黙が場を支配し、対話する者同士はそれぞれ思い思いに、感慨に浸るものだろう。
そうして過ぎる静寂な間を経てから、ふと誰かが言わずもがなの共通認識を口にする。
そんな流れがお約束のはずだ。
けれども疎外感を抱いているのか。
空気を読みたくないのか。
秋吉の奴がいきなりフライングする。
「スキッパーちゃんってば、めちゃめちゃ長生きな犬なんですね。
いわゆる、魔犬ってやつですか?
ショスタコーヴィチは『犬の人生がとても短いのは、犬がどんなことでも真っ直ぐ真心で受けとめてしまうからなんだ』なんて言ってます。
そうするとメトセラめいたスキッパーちゃんは、適当でいい加減な子ってことなんですかね~。
まるで私たちみたいですよ~」
秋吉は何の衒いもなくケラケラと笑う。
ぼくは完全に足元をすくわれた。
「・・・まあ、普段のスキッパーを見てると、確かにショスタコより秋吉の見方が合ってるって気がするが・・・。
せっかく良いストーリーでまとまる所だったのに、いきなり核心突いてくるのかよ!
ものには順序ってのがあるんだぜ。
話の腰を折るなよなー秋吉~」
「アキちゃんはどうか知らないけれど、私は物事に対して適当でもいい加減でもないわね」
すまし顔で佐那子さんがまぜっかえし、グラスを片手に妖しげな笑みを浮かべる。
誰を気取って真似ているんだか、見当も付かない。
まあ、今日出会った一連の不可思議な物語には状況証拠しかない。
だがしかし、多分全て実際に起きた出来事で真実で、足らざる部分も僕らが想像した通りなのだろう。
こうして、1945年3月10日の東京大空襲を結節点として物語が繋がった。
差し詰めスキッパーは狂言回しと言う役回りか。
天明から明治、昭和へと、過去と現在が綺麗な一つの世界線に連なっている。
秋吉の空気を読まない指摘は、結果として『めでたしめでたし』とか『とっぴんぱらりのぷう』みたいな締めの言葉代わりになってしまった。
初めは話の腰を折られた気がした。
けれども秋吉の軽みで、今日一日の語り納めに相応しい格好がついた感じだ。
僕としても、やり残した夏休みの宿題が、仕上がった気分になってきたしね。
へんに勿体をつけた、万感胸に迫るエンドロールにはならなかった。
今後のことを考えれば、それはそれで良い終わり方とも思える。
やがて日本に戻ってくる残り二人のメンバーが揃えば、学生の頃みたいな気忙しいが充実した日々が戻ってくるだろう。
秋吉に言わせれば後宮の魔女が揃い踏みだ。
アッと驚く状況の展開が珍しくもなくなる日々が再び始まるに違いない。
今日一日で見聞きし知り得た事実くらいで胸がいっぱいになるようじゃ、この先が思いやられるということだ。
OFUが投げてきた今回の依頼は、三年間の休暇で精神の箍(たが)が緩み切った僕に、再始動を促す気付け薬なのかもしれない。
未来をスキッパーのように生きていくであろう僕らの人生は、まだ初めの一歩を踏み出したに過ぎないのだ。