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とも動物病院の日常と加納円の非日常

東京大空襲<結> 15

 僕は預かっている資料を取り出す。
「エバンス中尉の軍歴です」
「・・・OFUも良く調べた事」
佐那子さんはレポート用紙に目を落として小さくつぶやいた。
「1942年にはイギリスにいたのね」
「エバンス中尉はヨーロッパ戦線で、イギリスからドイツへの爆撃任務についていたようです。
僕が・・・タイムスリップした最後の日のことです。
出撃なのか帰投なのかは分かりませんでしたが、低空を飛ぶ爆撃機を見ました。
大戦時に米軍が使っていたB17って言う爆撃機が何機も何機も頭の上を飛んで行ったんですよ。
それも1942年当時の主力だったF型のB17です。
当時、イングランド全域には爆撃機の基地が、まるでガソリンスタンドみたいに沢山建設されてたんですよ」
「えーっ、円さんもタイムスリップなんてしちゃった薄暗い過去をお持ちなのですか。
アキはそんなお話し聞いてませんよ~」
秋吉がほっぺたを膨らませた。
「話してねーよ。
OFUに入るきっかけとなったごたごたが起きた頃は、秋吉もまだガキだったしな。
正直なところお前も親父さんと暮らし始めたばかりで、それどころじゃなかったろ」
「でも~ほかの皆さんはご存じなのでしょ。
私だって立派な後宮の魔女のひとりなのに~。
それって差別ですぅ」
「うるせーやつだな。
そんなにたいしたこっちゃないよ。
それから何度も言ったろ。
後宮の魔女ってのやめろな。
僕だってジュリアのことも。
タイムスリップのことも。
今日の今日まですっかり忘れてたんだぜ。
高校に入ってからこっち、珍奇で面妖な出来事に遭遇し続けて幾星霜。
小学生だった頃のことなんか、いちいち思い出してる暇なんかなかったんだぜ。
学校を出て、とも動物病院で世話になってのここ三年くらいは、椿事とはまるで無縁だったからな。
それにだ、最初から妙に偉そうで、人を人とも思わない変ったヤツだとあきれてたけどさ。
スキッパーの素性に疑いを持った事なんか、これまで一度もなかったんだよ」
 ここ数年の生活は、まるで僕が普通の人みたいに、ぽかっと平穏な日々が続いた。
それをまるで昔のことのように懐かしく感じてしまう自分に、なんだか焦りを感じてしまう。
そのこともあるからだろう。
五日市という東京の田舎町で出会った奇想天外が、一学期の終業式から四十五日間、目を背け続けていた夏休みの宿題のように感じられる。
しかも僕の立ち位置は八月三十一日の昼食後だ。
夏休みの宿題はまったくの手つかずっていう絶望的な状況だ。
それでも奇跡をもたらす心頼みを探して、僕は崖っぷちでぐずってる。
「ジュリアさんがスケベちゃんってお名前の犬を連れていたことは分かりました。
その子が時を超えて、スキッパーちゃんとしてとも動物病院に顕現しているかもしれない。
そんな、よそ様が聞いたら荒唐無稽と鼻白むであろう与太話のことも、私は信じちゃいますよ?
そこで手前味噌ながら、私自身のことを思い起こしてみればですけれど・・・」
佐那子さんが楽しそうな表情で秋吉に視線を送る。
「時を駆ける系は、私としては、ありって言えばありですかねー」
佐那子さんが、意味深な輝きを秘めた艶っぽい眼差しで僕を見る。
「けれども、そのスケベちゃんが仮にスキッパーちゃんだったとしても、エバンスさんとの繋がりが分かりません。
どうして現代の日本にいるのかも。
まどかさんの直感は信じちゃいますが、もう少し傍証が欲しいところですね」
「こちらはエバンス中尉が搭乗していた爆撃機の機長。
フィリップ・レノックス少佐のプロファイルです」
待ってましたとばかりに、僕はリュックからもう一冊分厚いファイルを取り出す。
「どうやらエバンス中尉は、イギリスでもレノックス少佐の部下だったようです。
エバンス中尉はレノックス少佐が機長を務めるB17爆撃機<Schrödinger's cat>のクルーでもあったんですよ。
この時はまだレノックスは大尉でエバンスは少尉でした。
ヨーロッパでの任務に生き残った後、ふたりには除隊の道もあったようです。
けれども航法士だったエバンス少尉はレノックス大尉と一緒に再志願しました。
二人は昇進して機種変換訓練を受け、太平洋戦線に赴任しました。
それでですね、ここの所を読んでみてください」
 

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