ロージナの風:武装行儀見習いアリアズナの冒険 #50
第五章 秘密:3
わたしはまるでブラド・ツェペッシュに串刺しにされたトルコ兵みたいだった。
棒のように直立不動でつっ立ったまま、ブラウニング船長のねちねちと続く小言を辛抱強く聞く振りをしていたのだ。
いきなり夕立に会っちゃった。
みたいなアンラッキーな時がしばし流れ、やがてマリア様も手紙に目を通し終えた。
「ルートビッヒ様?」
「ええ、ちょっと厄介なことになりそうね。
あたしたちが予備役編入になったこと。
提督のご依頼をお受けして何年もスイーパー稼業で巡空を続けたこと。
結果、今ここにこうしてあること。
そうしたことどもの意味が、ようやく分かったような気がするわ。
アリーちゃん。
あんた宛ての分は、今しばらくあたしが預からせてもらうわ。
いいわね」
三人が顔を見合わせて軽く頷いた。
「アリー。
ご苦労だった。
直ちに当直に戻り配置につけ」
モンゴメリー副長がわたしに向き直り、もうお前に用はないとおっしゃった。
「アイアイ、マム」
わたしはビシッと敬礼を極めると、その場から逃げ出した。
船長室のドアを閉める時、わたしに向ける三人と一匹の何とも言えない視線が、一瞬だけかいま見えた。
『なんですかー、その悲しそうでいながら妙に優しげな皆さんの眼差しは。
まさか憐憫?
でもどうしてわたくしめに、そのような眼差しをお向けになる?
わたしの身の上に、なんだかとてつもなくまずいことが起きようとしている?
ちょっと厄介なことって何?
提督の依頼って何?
今ようやくわかったことの意味っていったい何?』
わたしの頭の中で遅まきながら警戒警報が発令された。
その日、わたしは半舷上陸の許可を取り消された。
溜まりに溜まった罰直をこなす様にと、マリアさん言いつけられたのだ。
赤道が近いのに、晴れ渡った青空の下、高原の風が吹き抜ける上甲板は存外に居心地がよかった。
だけどさ。
“ぼろバケツ(音羽丸のことね)”の甲板でこうしてくすぶっているより、右舷直第二班のみんなとキャベンディシュの街中へ繰り出す方が、ずーっと良いに決まっていた。
幸いにも例の士官候補生の一件は露見せずに済んだ。
ディアナは、持ち前のポーカーフェイスと盛りに盛った土産話で、辛くも危機を乗り切ったのだった。
わたしはと言えば、人前ではとても口にできない、ケイコばあちゃん絡みのちょっと深刻な内輪話を船長から聞かされた。
そうお姉様方にお話し申し上げて暗く落ち込んで見せた。
みんないたく好奇心を刺激されたようだけれど、家族のプライベートな事情だと涙を流したら、執拗な追及もなく同情を引くことに成功した。
昔からケイコばあちゃんの信頼が厚かったアキコさんだけは、しっかりわたしのウソを見抜いた。
見抜いたようなのだけれど、なぜかお目こぼしに預かった。
わたしが沈んだ風を装いただひたすらひっそりと過ごすうち、右舷直第二班の皆さんも上陸を許される時を迎えた。
ありがたいことに、わたし如き小者の土産話に価値は無くなった。
嵐は通り過ぎ、わたしは無事生き残ることができた。
しかしだ。
こうして罰直を食らって船に残されると、ちょっと未来に不安を感じている身としてはだ。
とりあえずは“命短し恋せや乙女”路線で、遊べるうちに遊び倒しておきたい気分だったと言い添えておこう。
今日はディアナも属する左舷直のクルーが船に残っていた。
入港中なので本職のお姉様方はそれぞれの専門に分かれて、のんびりと作業をこなしていた。
数か月に渡った今回のスイープ・・・。
隕鉄の回収巡空中に、船体、マストやヤードにいたるまで、破損した様々な箇所の修理や、痛んだ策具と帆の修繕、交換を行っていたのだ。
木造の船の良いところは、ドック入りしなくてもかなりの程度自前で補修や修理が可能だということだろう。
特に元々が軍艦である第七音羽丸のようなスループ艦クラス以上の船には、船のスペシャリストである船匠が乗艦している。
特に初代や二代目の船匠はその艦の建造時から関わっているから、構造や仕組みについて隅から隅まで知り抜いているのだそうだ。
第七音羽丸の船匠はハナコ・ロッシュ・コバレフスカヤ退役海佐だ。
普段みんなはコバレフスカヤ元海佐のことをミズ・ロッシュと呼んでいる。
ミズ・ロッシュはほんの駆け出しの頃にピグレット号の二代目船匠として、その輝かしいキャリアをスタートしたという。
こうして再び古巣の第七音羽丸に乗っているのだから、船匠としては出戻りと言うことになる。
ピグレット号の後は、フリゲート艦や戦列艦の船匠を勤めあげ兵学校の教授にまでなったと言うから、ミズ・ロッシュは結構なエリートなわけだね。
ミズ・ロッシュは全乗組員中最年長のおばさんだけど、もしかすると全乗組員中一番の美人。
加えて一番のプロポーションに恵まれた御仁かもしれない。
人は見かけによらないって言うけどね。
ミズ・ロッシュがエリート軍人というよりは女優かモデルみたいであることには、ケイコばあちゃんだって異論は唱えないだろう。
事実、ミズ・ロッシュは高名な詩人兼画家でもあったのだけれど、その方が軍人よりはよっぽどリアリティがある素性?
身の上だよ?
戦時ではない現在、本業の船匠としての仕事がかなり暇なので、普段は下甲板の自室(みんなはアトリエと呼んでいる)で、もっぱら創作にいそしんでいらっしゃる。
ちなみにミズ・ロッシュは、海軍時代を含めてかなり以前から、俸給や手当をもらっていないそうだ。
船にアトリエを持つという特権を軍や村に約束させるだけで、船匠としての仕事を受け持っているのだ。
噂によればかなりの資産家でもあって、トランターに大きなお屋敷を構えていると言う。
そういえば音羽村にもミズ・ロッシュのお家がある。
それは趣味の良い邸宅で、広いお庭の美しさは村でも一番との評判だった。
それから何と言ってもミズ・ロッシュは、ケイコばあちゃんの古くからの知り合いだったのだ。
そんな気の置けなさもあったからだろう。
ミズ・ロッシュが村に滞在しているときには、小さいころからディアナと一緒によく泊りがけで遊びに出かけたものだ。
だからと言っては何だがその頃からの習い性で、ミズ・ロッシュはわたしやディアナにとってはただのハナコおばちゃんだ。
退役軍人で元海佐の船匠と言うよりは、画家で詩人の優しいハナコおばちゃんなのだ。
ふと思い起こしてみれば、第七音羽丸がまだピグレット号として海軍で現役の軍艦だった頃から、村にはミズ・ロッシュのお家があったことになる。
まあ、そんなこんなだが、今日のミズ・ロッシュは長い金髪を頭の上にまとめ上げ、ピンク色のジャンプスーツを身にまとって前甲板の作業の指揮を執っていた。
武装行儀見習い一年目のわたしたちは、ミズ・ロッシュが指揮を執るレベルの高い水夫仕事については、もちろんお手伝いすらさせてもらえなかった。
わたしとわたしの監視を命じられたディアナは、何のことはない。
いわゆる水夫仕事の内でも、一番下っ端がしなければならない単純作業を、申し付けられていただけだった。